夜明けの鼓動

※覇権争いの端緒を捏造しています

 あっという間に勢いを増した炎は、地を舐め尽くすように燃え広がっていった。

 はためく戦旗、血溜まりの中で横たわる敵兵の死体、死んだ馬、突き立てられた剣、投げ出された盾……炎はそこにあるすべてを呑み込んでいった。

 燃えていく。

 なにもかも。

 死体が灼ける甘ったるい臭いに混ざって鼻先を掠めるのは、嗅ぎ慣れた戦場の臭気だ。血と泥と汗と、命をすり減らす男たちの臭い。オレ自身からも立ち昇る臭いもひどいものだった。

 粘着質な血と肉片がべっとりとこびりついた金棒を担いで踵を返し、落城して火を放たれた城をあとにする。

 勝ち戦だと父は言ったが、もしかしたら、負けていたかもしれない。

 兵力差はあった。こちらが圧倒的に有利だった。しかし戦というのは戦力がすべてではない。劣勢でも勝利することはある。相手は死に物狂いだった。それもそうだ。冥府の西をおさめる領主は、冥府の王である父に反旗を翻したのだから。

 結果的にオレたちは勝った。領主の軍は壊滅状態となり、西の小さな城は一日で陥落し、反乱を企てた首謀者である領主は、父の命令通り首を刎ねた。

――地獄で待つぞ。サトゥンの息子。

 首を刎ねる瞬間、領主はそう言った。地獄について考えてみるが、果たして、地の底にあるこの戦火の絶えぬ国よりひどい場所などあるのだろうか。

 反乱は鎮圧した。戦は終わった。勝った。それでも、胸には苦くどろどろとしたものが溜まっている。首謀者の首は、塩漬けにして父の元へ送り届けることになった。

「我々の勝利ですね」

 聞き慣れた声がして、足を止めて振り返ると、兜を小脇に抱えたオウケンが立っていた。戦場で見せる鬼神の如き勇猛さとは打って変わって、弟は穏やかな微笑みを浮かべていたが、金色の甲冑は返り血で汚れていた。

「なぁ、オウケン。この戦は、正しかったと思うか?」

 弟は太い眉を持ち上げた。

「それは、どういう意味でしょうか」

「……いや、気にするな。なんでもない」

 ふっと笑って、弟の頭を少しだけ荒っぽく撫でる。

 生臭い風が吹き抜けて、汗で湿った髪を乱していった。

 潜入させている密偵からの報告により、その日急遽開かれた円卓での軍議は、西の領主が反乱を企てているという話題からはじまった。

 兵の数はおよそ千。だが、魔族を旗下に加え、戦力を拡大しているとのことだった。

「フム。明後日には進軍を開始するそうです。反乱分子は潰さねばなりません。一刻も早く仕掛けるべきかと」

 届いたばかりの密書を読み終えた陸軍大臣が意見する。

「いけませんね」

大蔵大臣であり、戦場では参謀であるデスパーが反論した。

「暴力がすべてではありませんよ。条約を結ぶべきでしょう。話し合いで和平を築くべきです」

「魔族まで戦力として加えている領主が、話し合いに応じるとは思えません」オウケンが険しい顔で言う。「やはり、討つべきでは?」

「西の兵すべて失うのは我々にとっても痛手です」

 デスパーが食い下がった。西の兵は頸兵だ。たしかに、失うには惜しい。

「私もデスパーと同意見だ」指を組み、手の甲に顎をのせる。「話し合えるのであればそうしたい」

「ならば使者を送る必要がありますな」

 陸軍大臣が整った口髭を撫でた。

「たかだか一千の兵などいらん」

 円卓を囲う臣下のやり取りを黙って聞いていた父が沈黙を破った。

 皆の視線が一斉に父に向く。父は椅子にふんぞり返ったまま昏い眸を瞬かせ、牙の覗く幅広の口を開いた。

「デスハー」

「はっ」

「勝ち戦だ。精鋭を預ける。滅ぼしてこい。皆殺しにしろ。赤子ひとり残すな」

「……はっ」

 父は鷹揚と立ち上がると、円卓を去った。残されたオレや弟たちをはじめとした臣下たちは、順番に重々しい命令を吞み込んだ。

「いつ出立しますか、団長」

 斜め向かいでオウケンがオレを見る。

 冥府騎士団は、団長であるオレの一声で動く。

「夜明けとともに出る」

「承知しました」

「結局こうなるんですね。私も策を練らなくては」

 デスパーの溜息を合図にするように、各々が立ち上がり、解散となった。

 明日からまた戦がはじまる。

 夜のとばりが降りたころ、ゆっくりと湯浴みをして汗を流し、寝所に戻る廊下の途中でデスパーの背中を見付けた。呼び止めると、弟は懐中燭台を片手に振り返り、懐かしいものを見るように目を細めて微笑んだ。

「湯浴みですか」

「ああ。お前は?」

「戦の前は眠れないので、考えごとをしながら歩いています。これから策を練りつつ中庭をのんびり歩こうかと」

「休める時に休んでおけよ」

「大丈夫です。兄者も、ちゃんと眠ってくださいね。大事な戦の日に司令官が寝不足だなんて、困りますから」

「お前も少しは寝ておけ。夜は長いぞ」

「そうですね。眠れれば、いいのですが」

 曖昧に笑ったデスパーの手元で、燭台の先の火が大きく瞬いた。

 デスパーとは曲がり角で別れた。別れてすぐに首を巡らせてうしろを見たが、デスパーの姿はもうなかった。茫洋とした夜があるだけだった。

 寝所にはオウケンがいた。

 窓辺に佇む弟はこちらを向くと、腰に佩いた剣の柄頭にのせていた手を下ろし、背筋と同様指先までぴんと伸ばして「申し訳ありません。勝手に入ってしまって」一礼した。

「構わん、掛けろ」

「失礼します」

 窓際の椅子に腰を下ろし、オウケンは物言いたげにオレを見た。

「どうした?」

 テーブルを挟んだ向かいに座る。オウケンは上唇を舌先で湿らせて「戦の前夜ですから」と口火を切った。「今夜は、兄者と過ごしたいのです」

 己の前でだけ見せる弟としての顔は人懐っこい愛らしいものだが、そこに苦み走った男の色気が浮き沈みしているのを見逃さなかった。弟は、昂っている。戦前夜なのだから、当然といえば当然か。

「……してやろうか、アレ」

 テーブルに頬杖を突いて囁くと、オウケンの顔がみるみるうちに赤くなっていった。オウケンは「それは」だとか「そんなつもりは」だとか、言葉を淀ませ、喉を鳴らして、上目にこちらを見た。

「お願いします……」

 蚊の鳴くような声だった。

「いいぞ」

 椅子を引いて立ち上がり、ベッドまで移動してどっかりと座る。オウケンは剣帯を外して椅子に剣を立て掛けると、顔を強張らせたまま歩み寄ってきて、隣にそろそろと浅く腰掛けた。

 降りてきた劣情の幕の内側で、上半身を傾け、弟と向き合った。

「……兄者」

 頬を紅潮させたオウケンと距離が詰まり、唇が塞がれた。触れるだけの情熱的な口付けは舌先をつつき合うものへと変じる。隙間から滑り込んできたオウケンを歯の間で受け止め、舌で包み込んだ。若い衝動を受け容れながらオウケンの股座に手を這わせると、そこはすでに硬くなっていた。ブレーを押し上げて屹立している性器を撫で摩る。

 息を継ぐために一度離れると、オウケンはブレーと下着を下ろした。下着に引っ掛かった男根が勢いよく飛び出して天井を向いた。 

 以前、戦の前に手で慰めてやってから、時々こうして蜜事を交わすようになっていた。お互い女を知らない上に、オレに至っては自慰もろくにしたことがないから手探りな部分があるが、弟は満足しているようだった。

 弟のことを愛しているから、オウケンにその気があって、求められたのなら……いずれは繋がってもいいと思っている。

 脈絡を浮かせて勃ち上がった本能を握り、尖端から溢れた先走りを指先で広げて、全体に塗り込むようにして緩やかに上下に扱く。ぬめる体液のおかげで、動きは滑らかだ。

「あ、そこ、……っ、う」

 弟は肩に額をのせると、しがみついてきた。寝衣にシワが寄る。

「う、ぐ……」

 動きに合わせてオウケンの息遣いがだんだん乱れてきた。丸まった背中が小さく跳ねる様を横目に、強弱を付けて扱き続けた。手を止め、中指の腹で肉色の幹の裏側を下から上になぞって焦らすと、戦慄くような切なげな悲鳴が漏れた。

 掌全体を亀頭に押し当て、張った傘を指で摘まみ上げるように愛撫すると、オウケンは食い縛った歯の隙間から鋭い息を吐き出した。

「あに、じゃ、それ、ダメです……」

 弟は肩の側面を震える手で握ってきた。

「いい、の間違いだろう?」

 オウケンの耳元で吐息混じりに言う。弟は、耳まで赤くなっていた。

「んぐ、ぅ、う……」

 昂りを扱く粘っこい音にオウケンの声が混ざる。

 根元まで落とした手で、子種で張り詰めた肉袋を揉みしだくと、オウケンは震える声でオレを呼んだ。ゆっくりと先端まで戻って、強く握り直して手を往復させる。

「ぅ……も、出ますっ……」

 手の中で性器が大きく脈動し、生あたたかいものを感じた。それは指の股の間から溢れて上掛けに滴り落ちた。

「……っ、ん、ぅん……」

 オウケンが深く息を吸う。背中が大きく膨らんだ。

「申し訳ありません……」

 頭を擡げたオウケンの眸は、熱に浮かされたように潤んでいた。

「このためにやったんだ、気にするな」

 弟の股座では、まだ性器が角度を付けていた。若いのだから、一度でおさまるわけもない。ましてや、命掛けの戦場に出る前なのだ。

 白濁でぬめった手で、もう一度弟の滾りを握り締める。

 視線を持ち上げると、半開きの唇を塞がれ、すぐに舌が入り込んできた。口腔を犯すような弟の荒い舌使いに息が乱れた。昂ったオウケンの匂い立つ色気に、青臭い精の臭気がよく似合う。頭がくらくらした。手に負えない劣情は、弟と同じくオレにしがみついている。

「オウケン……」

 ぎちぎちに張った弟の男の象徴は、手の中でさらに硬くなり、膨らんだ。

「はぁ、兄者……兄者っ……気持ちいいです……」

 緩慢な摩擦を続けるうちに、オウケンはオレの背中に回した腕を力ませ、甘ったるい声を漏らして首元に顔を埋めてきた。首筋に掛かる熱い吐息と心地いい体温を抱き留め、硬く太い反り勃った一物を包み込んだ手を動かしていく。

「う……!」

 オウケンの身体が強張り、小刻みに痙攣した。飛び散った子種が上掛けやオウケン自身のチュニックを汚す。

 激情が去り、弾んだ吐息を整え、オウケンは身体を起こした。絶頂の余韻に揺れる弟の眸はまだ潤んでいた。

 快楽の残滓で濡れた手を、ナイトテーブルの上にあった手帛で拭いた。

「夜明けまでまだ時間ある。部屋に戻って、少し休んだ方がいい」

 オウケンは首を横に振った。

「このまま兄者といたいです」

 名残惜しいとでもいうように寝衣の袖を引いてきたので、結局共寝をすることにした。オウケンは珍しく甘えたがりだった。共寝をするのは子供の時以来だった。

「兄者」

 ナイトテーブルの上で灯る燭台の燈を背に、胸にもたれたオウケンが口を開いた。

「また、傷が増えてしまいますね」

「……そうだな」

 オウケンは眠るまで、オレの右肩から胸に残る古い傷痕をなぞっていた。

 夜明けとともに、六千の兵を率いて西に進軍した。

 斥候によれば、相手の戦力は二千以上に膨らんでいるという。しかし、兵力差は一目瞭然だった。

 互いの陣営に使者を送り合い、最後の交渉として降伏を促したが、敵の要求はこちらと同じく「降伏」だった。それならば容赦はしないと告げた。怒りは、今ごろ敵陣に伝わっていることだろう。

 荒野に本陣を構え、幕舎に集まり、最終的な軍議に入った。

 小振りな四角いテーブルに地図を広げ、兵棋を散らせて、デスパーは「いいですか」テーブルを囲う将たちの顔を順番に一瞥した。弟は、まるで何日も眠っていないように見えた。目元は落ち窪み、長い睫毛に囲われた目は充血している。今朝は髭も剃っていないだろう。

「斥候の報告からするに、敵軍は前線に魔族を配置しています。オーガもいて厄介ですが、最初にできる限り弓兵で数を減らします。その後兄者とオウケンが先陣を。前線を突破したら、騎馬隊に進撃してもらいます」

 敵の本拠地である城を正面にして駒が置かれた。オレとオウケンの軍だろう。後方の馬の形をした駒は騎馬隊だ。

「敵軍は全身全霊で向かってくるでしょう。この戦、兄者の手練に掛かっています。随時テレパシーで戦況を報せてください。機を見て、援軍として騎馬隊を送ります」

「あいわかった」

「兄者」

 デスパーの上向きの睫毛が持ち上がる。地図の上で、己と同じ色をした眸と視線が重なった。

「どうか、ご武運を」

 デスパーの眸はそのまま左に逸れた。

「オウケン、任せましたよ。私は戦場には出られませんが、ここで、あなたたちをサポートします」

「兄さんの戦場は地図(ここ)だよ」

 オウケンは緩やかに口の端を持ち上げた。

「……そうですね。私の戦場は、机上(ここ)ですね」

 参謀はおもむろに兵棋を摘まみ上げた。指先が震えていた。

 弟が犠牲を出さなくて済む策を一晩中練り上げていたことはわかっている。デスパーの進言ひとつで、自軍の多数の兵の命が動く。決断を下すことの難しさをデスパーは知っている。采配は、時に残酷さを求められる。デスパーがいかに苦悶したか、想像に難くない。

 デスパーを残して幕舎を出る。肩に圧し掛かる重圧が歩幅を広くする。

「団長、進軍の手筈が整いました」

 馬の手綱を牽いた部下が並ぶ。足を止めて息を深く吸い、吐いた。出撃の時は来た。

荒野に吹きすさぶ風は乾いていた。

 遮蔽物のない荒野の彼方に、敵の剣光帽(けんこうぼう)(えい)の布陣が見えた。前線はデスパーの言う通り魔族だろう。遠くからでもオーガの姿を確認できた。数が多い。二百はいる。

 地面に突き立てた金棒の柄頭に寄り掛かって敵軍を見据えていると、吹いていた風の向きが変わった。追い風だ。途端に戦場の空気が変わった。敵陣から角笛の音が轟く。大地が揺れて、数千の雄叫びが静寂を切り裂いた。土煙を上げて魔族が攻め込んでくる。

「弓兵! 矢をつがえ!」

 号令に合わせて、前線に並んだ弓兵が一斉に矢をつがえた。

「そのまま待機しろ!」

 声を張り上げる。待機しろ、とオウケンが号令を復唱した。

「まだだ、待機しろ!」

 風は追い風だ。矢は遠くまで飛ぶだろう。一呼吸の間に、押し寄せる魔族との距離は、半分ほどになっていた。

「放て!」

 腹の底から声を上げる。風を切って矢が次々と飛んでいき、魔族が倒れていく。

「つがえ!」 

 魔族の勢いは止まらないが、数は確実に減っていた。

「放て!」

 矢の雨を降らせても、屈強なオーガだけは倒れなかった。それでも、衝突する前に多くの魔族を削ることができた。

「突撃しろ!」

 オウケンを筆頭に、声を振り立てた冥府騎士団たちが進軍する。前線の魔族と荒野の真ん中でぶつかり合った。

 オーガの軍団は咆哮を上げ、巨大な剣を振り上げて襲い掛かってきた。今ここで陣を崩されてはまずい。

「止まるな! 私に続け!」

 走りながら右手に意識を集中させ、雷電を発生させる。蒼白く帯電した掌をオーガたちに向け、極限まで溜めた雷を放電した。閃光が戦場を暴き、轟音が地を裂く。感電したオーガたちの肉が弾け、臓物や骨が露出する。断末魔が上がった。骨すら残さないつもりだったが、オーガの巨躯は消し飛ばず、あとには真っ黒く焼け焦げた死体だけが残った。

「司令官に続け!」

 オウケンの声が右側からする。弟の鼓舞は、味方の士気を高めた。

 敵味方が入り乱れ、雷が使えなくなったが、オーガはほとんど立っていなかった。魔族の紫色の血が飛び散り、味方の赤い血が地面に吸われていく。怒号と悲鳴が交わり、次々と死体の山が築かれていった。金棒を振り回して敵を潰していき、ひたすらに前進した。乱れた髪が汗で頬に張り付き、血の臭いが嗅覚を麻痺させていく。

 甲冑を纏っていない魔族たちは身軽だが、脆かった。戦場での戦い方を知っている冥府騎士団が、粗暴な戦いをしてきたであろう魔族たちを捻じ伏せていく。

「聞こえるかデスパー! 前線の魔族は壊滅状態だ!」

 振り上げた金棒で斧を掲げて走り寄ってきたゴブリンの頭を叩き潰して叫ぶ。こんな大声でテレパシーを使うのは久し振りだ。戦の度にこんな使い方をしている。

『中央を突破しましたか。そうなると次は騎馬隊が来るはずです。斥候の情報によると、重装歩兵も向かっているとのことです』

「厄介だな」

『守りが固いですね。援軍をそちらに向かわせています。耐えてください』

「わかった」

 前から敵陣の騎馬隊が押し寄せてきた。うしろからは自軍の騎馬隊が駆けてくる。馬蹄が戦場を揺るがした。金棒を横に構え、突っ込んでくる馬の足を砕いた。転倒した馬に続くようにして勢いを殺せなかった馬たちが倒れていく……弱めた雷を目の前に放って騎馬隊の波を割り、竿立ちになった馬を騎手ごと金棒で打ちのめす。

「貴様っ、デスハーだなっ」

 すぐそばで、赤い鎧を纏った敵将が馬上から叫んでいた。面頬の間から見える表情は、怒気に満ちていた。知らない顔だ。

「覚悟しろ、サトゥンの息子め!」

 敵将の馬が目前に迫った。槍の切っ先を金棒で受け流す。奥歯を噛み締めて身体を反転させ、右手を帯電させる。大きく膨らんだ円を描いて、敵将も馬首を返した。

「どこかで会ったか?」

 笑えない冗談をひとつ言って、雷で作り上げた槍を投げた。鋭い紫電は敵将の剥き出しの顔面を貫いた。敵将は頭から落馬した。興奮した馬だけがどこかへ走り去っていった。「悪いがオレは覚えていない」

 馬と馬が激しくぶつかり合い、敵も味方も落馬する。横を走り抜ける騎兵の槍が肩や胸を掠めたが、痛みはなかった。鎧の下で出血しているのかさえもわからない。

 先頭を駆けている陸軍大臣が、すれ違いざまに敵将の首を斧槍で落とすのが見えた。

「ご無事ですか!」

「ああ、大事ない!」

 合流したオウケンと互いの背中を護りながら戦った。足元には血溜まりができていた。白銀の鎧は、返り血で真っ赤に染まっていた。

 戦いは血みどろの混戦を極めた。

 魔族の生き残りと騎馬隊を相手に奮迅していると、前線に追いついた盾を構えた重装歩兵たちが立ちはだかった。

 足を踏ん張り、渾身の力を込めて金棒を薙ぐ。分厚い金属製の盾ごと敵兵の身体が吹き飛んだ。倒れた敵兵のひとりに馬乗りになったオウケンが、兜の幅広の視孔に剣を突き立てていた。重装歩兵は盾を構えてオレたちを囲むように一歩一歩距離を詰めてきた。囲まれたら四方から槍で貫かれるだろう。

「押し返せ!」

 味方がそばにいる以上、雷は使えない。金棒を振り下ろし、一騎一騎潰そうにも、敵軍の堅牢な守りはなかなか破れない。

 あと一押し、あと一押しが足りない。

「デスパー! 援軍はまだかっ!」

『もう到着するころです』

 振り返ると、自陣の戦旗を翩翻(へんぽん)と翻した騎馬隊が、列を成して押し寄せていた。五百騎ほどだろうか。騎馬隊は雪崩のように重装歩兵たちを吞み込み、蹴散らし、蹂躙した。

「兄者! 援軍です!」

「このまま押し切れ!」

 声を張り上げた。足元で死に損なった兵士が足首を掴んできた。それを振りほどいて、領主の城に向けて進軍する。

 城は一日で陥落させなければならない。籠城戦に持ち込まれると厄介だ。

 乗り手を失った馬に乗り上げ、オウケンと数十騎の騎兵と共に領主の城まで攻め込んだ。

 いつの間にか辺りはぼんやりと暗くなっていた。夜のとばりは、血に染まった大地を覆うように降りてきていた。

「進め、進め!」

 馬の腹を蹴り、ひたすらに駆けた。

 やがて領主の城が見えてきた。城壁には弓兵がいた。飛んでくる矢を金棒で防ぎながら駆けた。顔の横を掠める矢の音に、馬の乱れた息遣いが混ざる。

 降り注ぐ矢が馬の額や胸に突き刺さった。嘶いて前のめりになった馬から飛び降りる。受け身を取って地面を転がり、立ち上がって走り出す。

「兄者っ!」

 うしろからオウケンの声がした。

「私に構うな、先に行けっ」

 矢を金棒で弾く。オウケンが駆る黒毛の馬に追い越された。

「団長、私の馬を!」

「すまん、借りるぞ」

 駆け寄ってきた騎手と入れ替わるようにして新しい馬に乗り、駆った。城門はもう目前だった。閉ざされた城門を雷で破壊すると、味方が一気に城内に流れ込んだ。敵軍は百騎もいなかった。歩兵ばかりだ。馬から下りると、ひとりの兵士が、無謀にも雄叫びを上げて斬りかかってきた。

「領主はどこだ!」

 向かってきた敵兵の身体を金棒の先で押しやり、頭を叩き潰す。

「ここにいるぞ、サトゥンの息子っ!」

 声のした方へ首を巡らせる。赤い甲冑に身を包んだ大柄な男が身の丈ほどの大剣を構えていた。

「軍を率いる司令官同士、一騎打ちといこうじゃないか」

「受けて立とう」

 部下たちを下がらせた。金棒の柄を握り直し、領主を凝眸する。この男の顔は、数年前に城で見ていた。誠実で、忠義に篤い男で、父の気に入りだった。まさか、裏切るとは思ってもみなかった。

「うおおおお!」

 領主が剣を振り上げた。寝かせた金棒で受け止め、一合、二合と打ち合った。足元で泥が跳ねる。勢いのある攻撃だった。ぶつかった剣と金棒の間で火花が散った。睨み合い、離れ、また打ち合う。

「私はお前を倒して、サトゥンの城を落とす!」

 領主の拳が横っ面に叩き込まれ、目の前がぐらぐらと揺れた。

「……っ……!」

 瞬きをして後ずさる。焦点の定まらない視界に剣を引いた構えの領主の姿が映る。身体を捻って咄嗟に渾身の突きを躱そうとしたが一刹那間に合わず、剣先が左肩を掠めた。歯を食い縛って、勢い余ってたたらを踏んだがら空きの領主の腹に金棒を叩き込む。うしろに吹っ飛んだ勢いで赤い兜が外れた。甲冑のおかげで肋骨は砕けないだろうが、すぐに立ち上がることはできないだろう。

「終わりだ」

 転倒し、尻を着いた領主の顔の前に金棒を突きつけた。

「サトゥン……悪魔め……」

「これ以上罪を重ねるな。王への悪罵は重罪だ」

 オウケンが歩み寄ってきた。剣を渡され、代わりに金棒を預ける。

「なぜ叛逆した」

 領主はオレを見上げて、血走った眼を見開いた。

「西の最果てに来たお前たちに教えてやろう。冥府はこのままでは滅ぶだろう。そうなる前に暴君を討たなければ。誰かがやらなくてはならないのだ。勇気あるものが立ち上がらなければならない。誰かが、皆を光の差す方へ導かなければならない。だがそれは……どうやら私ではなかったようだな」諦念の溜息を吐き、領主は項垂れた。「もうなにも言うまい。殺すなら、殺すがいい」

「最期に言い残すことは?」

 オウケンから受け取った剣を鞘から抜く。刃は血と脂でぬらぬらと照っていた。

「地獄で待つぞ、サトゥンの息子」

 剣をゆっくりと振り上げ、褐色の髪の間から覗いた(うなじ)目掛けて振り下ろした。肉と骨を断つ確かな手ごたえがあった。

 落ちた首は転がり、オウケンの足元で止まった。

「首は塩漬けにして持ち帰ります」オウケンは首を拾い上げた。断面から粘ついた濃い血が滴り落ちている。「父上の命令です」

「……そうか」

 鮮血が滴る刃を薙ぎ、鞘におさめた。

 弔いたいとは、言えなかった。

 領主の家紋が刻まれた旗が城壁から下ろされるのを横目に、精鋭の兵を数名連れて城の中に足を踏み入れる。生き残りの兵士がいたら、捕虜として捕縛しなくてはならない。兵士でないものがいたら、逃がさなくてはならない。

 部屋を見て回った。或る部屋の片隅に、赤子を抱えた女がいた。おそらく、領主の妻子だろう。

「殺さないで……!」

 女は嗚咽を漏らして赤子を庇うように背中を向けた。薄い肩が震えている。

「そんなことはしない。お前たちを保護する」

 こちらを向いた女の涙で濡れた顔に、一瞬安堵の表情が浮かんだ。

「なりません、デスハー様」

 部下が抜身の剣を提げて部屋に入ってきた。そして、部下は女を赤子もろとも斬り捨てた。

「なにをする!」

「王のご命令です。赤子ひとり残すなと」

「……っ」

 父は、なんて残酷なことを命じたのだろう。腹の底から煮えたぎった怒りが沸き上がり、奥歯を噛み締める。

「……すまない……」

 ひとり取り残され、微かな吐息で紡いだ言葉は、誰にも聞かれることなく消えていった。床に広がっていく血溜まりを見ることができなかった。

 焦げ臭さが鼻先を掠めた。誰かが城に火を放ったのだろう。これも、父の命令だろうか。

 領主の城はほんとうに小さなものだった。火はすべてを呑み込んでいった。

 落城した城を出る。薄闇に包まれた荒野は、死体で埋め尽くされていた。敵軍は全滅だろう。頭上を旋回していたカラスたちが次々と舞い降りてきて、死屍累々の饗宴に歓喜し、敵味方関係なく死体を啄みはじめる。その様子を、呆然と眺めるしかなかった。

「我々の勝利ですね」

 血腥い沈黙を破ったのは、弟の声だった。振り返ると、オウケンが立っていた。急に現実に引き戻された気がして、喉の奥から熱のこもった息が漏れる。

「なぁ、オウケン。この戦は、正しかったと思うか?」

「それは、どういう意味でしょうか」

「……いや、気にするな。なんでもない」

 目に涙が湧きそうになって、誤魔化すように弟の頭を撫でる。

 近くでカラスが鳴いた。

 帰城して休む間もなく父に呼び立てられた。

兄弟三人で玉座の間に向かうと、首の入った鉄製の箱が、すでに父に届けられていた。

「よくやった」

 中で塩漬けにされた領主の首を眺め、父は満足そうに言った。

「さすが私の息子たちだ」

 玉座の前で跪いたまま聞く父の言葉は、なんの感動もなかった。幼いころからオレやデスパーに無関心を決めてきた父にとって、息子というのは、今は都合のいい駒でしかない。そんなことは、とっくの昔にわかっていることだ。

「デスハー。お前には褒美に西の領土をやろう。あの城も好きに使え」

「はっ」

 深く(こうべ)を垂れ、西の果てで焼け落ちた城のことを考えた。

 謀反者を討ったはずなのに、なぜこうも哀しみが胸にあるのか、わからなかった。

 

 甲冑を脱ぐと、胴着の襟元が乾いた血で汚れていた。

 領主の剣を受けた肩口には、深い裂傷ができていた。侍医に診てもらった。消毒のあと、縫合された。十針縫った。

「しばらくは痛むでしょうな。ご無理はなさらぬように」

「わかっているとも」

 頭を傾けて新しい縫い傷を見据える。オウケンの言う通り傷が増えた。

 この傷を見るたび、きっとあの領主を思い出すだろう。傷が癒えたあとも、最期に吐かれた呪いのような言葉を忘れはしないだろう。

 

「兄者だけ褒美をもらえて羨ましいです」

 食卓の向かいで、大人げなく唇を尖らせてデスパーが言った。

 頬張った肉を咀嚼して吞み込み、ナプキンで口元を拭ってから弟を見据える。

「お前に預けてもいいぞ、あの城」

「いりませんよ、私には荷が重すぎます。それに、すべて焼け落ちてしまいましたし。どうするんです、あの城」

「修復が必要だな。早急に動くことにする」切り分けた肉をまた一口頬張る。「やることが山積みだ」

「西の兵はもういません。頸兵千騎の喪失は痛手ですね。父上は、気にしていないようですが」

「しばらく戦もないだろう。ゆっくり休め」

 デスパーは手元のゴブレットを口元に引き寄せて中身を一口飲んだあと、顔を顰めた。

「それより兄者、父上が戦争よりも研究に執心していることにお気付きですか?」

「……ああ」

「父上の非道な行い、見るに堪えません」

「父上はもう……正気ではないのだろう」

 会話はそこで途切れた。

 視線を皿の上の肉に落とし、切り分けていく。

 斜め向かいに座っているオウケンが、千切ったパンを手にしたまま視線だけでオレとデスパーを交互に見ている。話し出すタイミングを見計らっていたようだが、結局オウケンはなにも言わなかった。

 冥府は今、不老不死の研究に没頭している父の暴挙により、恐怖と怨嗟に満ちていた。父は民や兵を集め、処刑し、その血を啜っている。残虐な行為は歯止めが効かず、目を覆いたくなるほどの惨状が続いている。このまま残酷な統治が続けば、いずれ冥府という国は内側から崩壊し、衰退の一途を辿っていくだろう。

 そうなる前に、止めなくてはならない。

 そのためには、父を――。

 父を、討たねば。

 肉を切っていたナイフの刃が勢いよく滑って皿の底にあたった。がちゃんと耳障りな音が響く。

 はっとして顔を上げる。弟たちは、顔を伏せていた。重苦しい空気が食卓を満たしている。

 薄桃色をした肉の断面は、西の領主の首を思い出させた。

 吐き気がして、それ以上は食えなかった。

 気が付けば、辺りは猛火に包まれていた。

 赤々とした火は石灰洞の天井まで燃え盛り、ちろちろと揺れていた。熱い。真っ赤な波がすべてを攫おうと押し寄せる。耳をつんざくような大勢の人間の泣き叫ぶ声や呻吟(しんぎん)が四方八方から聞こえる。声は男も女も関係なかった。子供のものまで混じっている。

 ここはどこだ。

 ふと気配を感じて振り返ると、大柄な影が立ちはだかっていた。

「私はお前を怨む」

 斬り落とされた己の首を腹の前で抱えた西の領主が、オレを睨め付けていた。

「――――!」

 自分の声で目が覚めた。

 身体が弾かれたように起き上がった。肌がじっとりと汗ばんでいた。室内は暗い。ナイトテーブルの上の燭台に灯った唯一の燈が、今見たのは悪夢だと理解させてくれた。

「……、ぅ……」

 掌を顔に押し付ける。目に、涙が湧いていた。生々しい悪夢は、眼球の裏にこびりついて落ちない。

 意識は完全に覚醒していた。今夜はもう眠れないだろう。

 履物を引っ掛け、懐中燭台を片手に寝所を出て、黙々と居館から別棟まで歩いた。

 中庭を臨む通路で、デスパーとオウケンの姿を見付けた。弟たちは、石壁にくり抜かれた穴に懐中燭台を置いて、中庭を見下ろしていた。気配に気付いたのか、囁きのような会話が不意に途切れ、ふたりがこちらを向いた。

「兄者……」

「眠れないのか」

 声を掛けると、弟たちは顔を見合わせ、疲れ切った笑みを向けてきた。

「ええ。考えごとをしていました」

「眠れなくて歩いていたら、ここでデスパー兄に会ったんです」

 デスパーの隣に立って、無骨な正方形の窓の縁に燭台を置く。照らし出された不揃いな三つの影が石壁に貼り付いた。

 思慮深く聡明なデスパーがなにを考え、答えを導き出せず夜に縋ったのか、見当は付いている。強かに信念を貫くオウケンが、なぜ暗く冷たい夜の真ん中をひとりで歩いていたのかも。

「……なぁ、お前たち」

 夜すがら灯った中庭の燈を見下ろしたまま口を開く。

「あれは、正しい戦だったと思うか?」

 弟たちの方へ視線を滑らせる。縹渺とした夜の闇が、ふたりの整った顔にうっすらと影を刻んでいる。

 デスパーが身じろぎして「正しい戦、ですか」言った。

「たしかに、謀反によって王権が危機に晒されたことを防ぎました。簒奪者になりえたかもしれない者を討つという目的を果たしました。私たちは勝ちました。ですが、戦争に勝つということは、手段を正当化したに過ぎないと、私は思います。その戦争が正しいものだったのか、過ちだったのかなんて、そんなものは後世の史家が決めることです。戦争に正しいも悪いもない。兄者、私たちは人殺しです」

ぬるい風が吹いて、燭台の火が不安定に瞬いた。

「そうだな。オレたちは」弟たちから顔を逸らして、中庭を見る。無邪気だった幼いころ、兄弟でよく遊んだ中庭を。「人殺しだ」

 目を閉じて、拳を強く握り締める。爪の先が深々と掌に食い込んだ。この手は、とっくに血で汚れている。

 聞こえるはずのない鬼哭が聞こえる。それを嘲笑うかのような父の哄笑も。

 父の駒でいるのは、もうやめよう。否、もっと早くにそうするべきだったのだ。

「……父上を」

 父に対する恐怖と嫌悪が薄れていく。ゆっくりと目を開けた。ずっと胸の奥深くに封じていた心の一片が抑圧の膜を破り、勇気と慈悲が産声を上げる。

「父上を討とう」

 弟たちが息を呑む気配がした。

「オレは人殺しのままでいい。だがこれ以上父上によって無辜の者たちが蹂躙されるのは見ていられない。冥府の現状を変えなくてはならない。デスパー、オウケン、オレを、支えてくれないか」

 弟たちをしっかりと見据える。

「革命を為そうというのですね」

 デスパーの黒目勝ちの目が火に濡れていた。

「気付くのが、遅すぎたがな」

「遅すぎるとは思いません」

 オウケンの眸に、揺るぎない決意が宿るのを見た。

「書物にもこうありますよ。『諸君は獣の如き生を送るべく生を享けたのではない。諸君は徳に従うべく産まれた』とね」

「この国のために、私たちは兄者を支えます」

 それ以上言葉は必要なかった。

 懐中燭台の火だけが、ゆらゆらと揺れている。

 謀反の計画を画策するのに、西の城は都合がよかった。焼け落ちた城の修繕や土地の整備を理由に、父の元を離れることができたからだ。

 三月の間、三人で入念に計画を立てた。

 オウケンを連れて父の元を離れて西の城を根城とし、父の動向を探るために城を離れられないデスパーとはテレパシーでやり取りをした。

 当然の話だが、城内にも父の統治に不満を持っている者は多い。抱え込むことができればよかったが、計画を知る者が多ければ多いほど、父に伝わってしまうリスクがある。故に内密に事を運ぶことになった。

 冥府騎士団は、父に生殺の権を握られた人間たちで編成されている。彼らを統率し、訓練し、練り上げてきたオレやオウケンが抜けるとはいえ、腐っても軍隊だ。父の軍と戦うには、外部の協力者が必要だったので、傭兵を雇うことにした。

 他国でも野心的で不誠実とも言われる傭兵軍だが、交渉の末、父の圧政により虐げられてきた彼らは、頼もしい味方となってくれた。大蔵大臣であるデスパーの細工もあったが、傭兵を雇うのに城の金を使っても、父は気付かなかった。

 手練れの傭兵たちを引き連れる隊長とは、夜な夜な軍議を行った。

 彼らは騎士団との戦い方を熟知していた。機動力の高い騎兵への対策も、重装歩兵の倒し方も知っていた。

「防柵なら半日あれば作れる。騎兵ってのは周りに歩兵がいなけりゃ怖くない。馬の扱いに慣れてるやつがうちにいる。生憎馬は百頭もいないが、冥府騎士団サマがケツを追ってくれればこっちのモンだ。狭い道に誘き寄せて弓兵で一掃しちまおう」

「うまくいくだろうか……」

「オウケンサマ。オレたちはアンタが生まれる前からドンパチしてきてんだ。大丈夫さ」

 最終的に、戦力を二手に割いて、城の守りが手薄となっている東門を攻めることになった。

 ついに、父に叛逆する時がきたのだ。

「この城が一部の冥府騎士団員になんと呼ばれているか知っていますか?」

 視察と称して古城を出てきたデスパーは、合流して間もなくして、ようやく修繕が終わった城の外観を見上げて言った。

 オウケンと揃って顔を見合わせたあと、首を傾げてデスパーを見ると、弟は城門を指差した。

「『亡霊(ゴース)(トハ)住処(ウス)』です。門から入った吹き抜ける風の音が鬼哭に聞こえるそうなので」

「くだらん」

「領主の亡霊が出るという噂もあります」

「亡霊なんていませんよ」オウケンが片目を眇めた。「臆病者の妄想でしょう」

「人は得体の知れないものに恐怖するものです」

「得体の知れないもの、ですか」

 オウケンは腑に落ちないとでも言いたげな顔をしていた。

「そうです。神、亡霊、悪夢、エトセトラ。そういったものに人は恐れをなすのです」

デスパーは遠くを見ながら目を細めた。

 未だ時折夢に現れる領主を思い出して、瞼が半分下りる。オレは、恐れているのだろうか。亡霊を。

「……いよいよ明日、なのですね」

「そうだ。今日はゆっくり休んでおけ。明日からは、しばらく幕舎で過ごすことになる。よく食べ、よく寝ろ」

 もしかしたら、弟たちと過ごす夜は、今日が最後かもしれない――。

 そんな考えが胸をよぎり、不安を振り払うようにマントを翻す。

 一陣の風が吹き抜けた。轟々と鳴る風は、地の底で嘆き悲しむ死者の悲泣にも聞こえた。

暖炉の前に腰掛けて火を見ていると、控えめなノックが部屋に響いた。

「兄者、よろしいでしょうか」

 くぐもったオウケンの声に「入れ」と返しながら指の背で目元を擦った。

 ドアが開いて、ゆったりとした青い胴着を着て黒いブレーを穿いたオウケンの姿が、室内にいくつも灯る燭台の火に照らし出される。

「少し、話がしたいのです」

 オウケンは窓際から椅子を持ってくると、オレの隣に置き、ゆっくりと腰を下ろした。暖炉の前に並んだ椅子から伸びた影が絨毯に貼り付いた。心地いい静寂がふたりの間を漂いはじめる。

「以前兄者は、戦が正しかったのか、二度、私に訊ねましたね」

 弟は膝の上で手を組んだ。

「正しさとはなにか、正義とはなにか、私なりにずっと考えて、ようやく答えが出ました。正義と悪は、簡単に線引きできるものではないと気付いたのです」

 暖炉の火が盛って、オウケンの横顔を赤々と照らした。

「彼らには彼らの正義があった。もちろん私たちにも。正義と正義のぶつかり合いは争いを生んでしまう。デスパ―兄の言う通り、戦争に正しいも悪いもない。どちらも自分たちが正しいと思っているからです。自分たちの正義を信じて疑うことなく、貫き通そうと剣を執るのです」

 オウケンの眸が潤んでいるように見えるのは、燈の加減のせいだろうか。

「正義を掲げた者を人殺しと呼ぶのなら、私は人殺しのままでいい」

 火の中で薪が弾けて、乾いた音を上げた。

 オウケンは立ち上がり、オレの前で跪いた。

「兄者……いいえ。我が王。あなたは冥府のために立ち上がった。あなたの勇気を称えます。私はあなたの剣となって敵を切り裂き、盾となってあなたを護ります」

 オウケンの声は情熱を含んでいた。上と下で目が合う。弟は、騎士の顔をしていた。

「その誓いを忘れるな。オウケン。我が騎士。我が剣よ」

 手の甲を上にして片手を差し出すと、オウケンは揃えた指の付け根に口付けを落とした。

父を討った暁には、オウケンを騎士団長にしてやりたい。騎士団長叙任式を、玉座の間で行うのだ。抜身の剣をオウケンの肩に乗せ、誓いの言葉を立て、正真正銘騎士団の長にしてやりたい……。

「実は」オウケンは手を握ったまま続けた。「今夜、他にもあなたに伝えようと思っていることがあります」

「なんだ?」

 手を強く握られた。

「私は、兄者のことを愛しています」

 眸に陶酔を浮かべ、弟は熱っぽくオレを見上げている。

「気持ちをいつ伝えるべきかずっと考えていました。この感情は弟としての親愛ではなく、騎士としての忠義でもない。私は兄者のことを心の底から愛しています。この燃えるような愛情は、生涯を通してあなただけに捧げたいのです。私はあなたのそばで、あなたを支えたい」

「……オウケン」

 じわりと目頭が熱くなった。鼻の奥がつんと痛くなって、目を閉じる。

「兄者? な、泣かせてしまいましたか……?」

「っ、すまん」

 慌てて顔を逸らし、掌で目元を覆う。

「お前が、そこまでオレのことを想ってくれているとは、知らなかった」

 鼻を啜って、手を退けて、視線を弟に落とす。オウケンの精悍な顔立ちは、緊張で強張っていた。

「オレのそばに、いてくれるんだな?」

 火に濡れた頬を両手で包み込む。添えた手の甲にオウケンの手が被さる。

「はい、兄者のおそばにいます」

「今夜も、いてくれるか?」

「もちろんです。夜明けまで、ともにいます」

 額が引き合って重なった。先に動いたのはオウケンだった。唇が塞がれ、隙間からおそるおそるといった風に舌が差し込まれる。拙い、しかし、情熱的な口付けだった。重たく甘い期待が、夜のとばりのように降りていく。

「あなたを、抱いてしまいたい」

 弟の囁きに、耳まで熱くなった。オウケンと繋がってもいいと思っていたはずなのに、実際に求められると、どうしていいかわからなかった。それでも、弟を受け容れてやりたいという気持ちが胸を満たしていった。

「……続けるのなら、ベッドに」

 なんとか息を継いでぽつりと呟いて離れる。弟が生唾を飲み込んだのがわかった。

オウケンは立ち上がり、鷹揚とベッドまで歩いた。それから胴着のボタンを外し、ベッドに腰掛けた。

 揃って黙って服を脱ぎ、ベッドに上がった。オウケンはすぐに覆い被さってきた。弟の興奮を抑えた息遣いは、鼓動を大きくさせた。

 オウケンの唇が首筋に埋もれる。唇は首の側面を吸って、鎖骨に滑った。リップ音が白皙の肌の上で踊る。

たどたどしい口付けは、胸に、腹にと滑って、筋肉の詰まった胸に戻った。胸の先にむしゃぶりつくと、オウケンは強弱を付けて吸ってきた。硬い男の胸など、楽しくもないだろうに。

 愛撫されるうちに、柔らかかったそこは芯を持った。軸を中心にして舌が一巡する。くすぐったい。反対側は指の先で摘み上げられて転がされ、ぽってりと膨れた。

「……っ」

 痺れに似た感覚が胸に広がる。オウケンの舌に詰られ、すっかり硬くなった乳首は天井を向いていた。

 オウケンは舌なめずりをすると、身体を伏せたまま下肢に移動した。下着が下ろされ、萎えた愚息がまろび出る。オウケンは片手でそれを支えると、裏側に舌を這わせた。

「オウケン……そこは」

「男同士ですから、気持ちのいいところはわかっているつもりです」

 緩やかに手で扱かれるうちに、ふてぶてしい大きさのそれは屹立した。オウケンの親指の腹にできた剣胼胝が、段差の境目をぐりぐりと詰る。微弱な刺激すら、身体は敏感に反応した。

 オウケンは勃ち上がった本能に唾液をまぶすと、半ばまで咥え、頭を上下に動かした。柔らかくあたたかな粘膜に包まれ、はじめて味わうみだらな摩擦に目の前がぐらぐらと揺れる。濡れた粘膜同士が擦れる。口元を手の甲で押さえ、目のやり場に困って顔を逸らし、目を閉じた。

 根元に並んだ睾丸も吸われ、歯を食い縛った。引いては押し寄せる怒涛は思考を麻痺させていく。女とは縁がなく、自慰などろくすっぽしたこともない肉体にとって、あまりにも強烈な刺激だった。

「オウ、ケン、待て、それ、以上はっ」

 先端を強く吸われて太腿が跳ねた。

「あっ……!」

 瞬発的に性が爆発して、目の前が真っ白になって――果てた。声も出せず、躯幹が痙攣する。

 オウケンは口腔に吐き出されたものを呑み込むと、親指の腹で唇を拭った。

「気持ちよかったですか?」

 涙目のまま小さく頷くことしかできなかった。「よかった」と零してほうっと息を吐き出したオウケンの股座では、男根が下着の生地を押し上げて主張していた。

「兄者のすべてがほしいのです」

 弟の渇望は、熱情に溢れていた。

 オウケンになら、身も心もすべて、やってもいい……。

 極致感の余韻は、羞恥心を鈍らせ、理性を奪っていった。戦前の昂りをぶつけ合い、肌を重ねて過ごすはじめての夜は、潜熱に支配されている。

 オウケンは下着を脱ぎ捨てると、身体を足の間に割り込ませてきた。そして利き手の示指を咥えてたっぷりと濡らすと、尻の真ん中に触れてきた。男同士の交わりなのだから、挿れるのはここしかないが、未知なる場所だ。

「痛みがあれば、仰ってください」

 オウケンは固く閉ざされた肉の門を撫で、慎重に押し開いていった。異物を拒む窄まりは、時間を掛けてほぐされていった。

 体内で鉤型に曲がった指が浅い部分で腹側を押しやると、わずかに開いた唇の隙間から震える声が出た。

「っ、ぅ……」

 オウケンの指の数が増え、肉色の亀裂からぬちぬちと湿っぽい粘ついた音が漏れる。規則的に前後に動く手は、確実に狭い肉壁をほぐしている。圧迫感も、痛みもない。切ない疼きだけがあった。

 体内で生き物のように蠢いていた指が引き抜かれ、尻たぶを左右から引っ張られた。拡張した孔がぱっくりと開き、元の形に戻ろうと収斂する。

「ほぐれたようです」

 弟はまた「よかった」と安堵の溜息を吐いた。

「もう限界だろう。挿れてもいいぞ」

 オウケンの足の間で、太い脈絡を浮かせて痛いほどに膨らんだ性器を見据えて言う。

 猛々しい男の本能は、こうしてみると肉杭のようだった。あれが尻に突き立てられ、腹を貫き、中を掻き混ぜるのだ……。

「失礼します」

「今、言うな」

「すみません」

 苦笑いを零すと、オウケンは気恥ずかしそうにはにかんだが、表情はすぐに緊張で強張った。

 膝裏を掴まれ、折り曲げていた足が大きく開かれ、オウケンの逞しい体躯が深く割り入る。自身の性器を握って、弟は緩慢に腰を突き出した。唾液でしとどに濡れたぬかるんだ孔に張った傘の先端が押し当てられたかと思うと、そのまま何度か擦り付けられた。孔に挿るかたしかめるような動きに顎を固くさせる。

「ん……!」

 突き入れられた瞬間の衝撃と圧迫感に目を見開いた。深く息を吸ってゆっくりと吐く。腹にオウケンが食い込んでいく。

「う、ぐ……」

 指とは違った圧倒的な質量が腹を割っていく。臓腑を押し上げられるような感覚に、弓形になった喉の奥で息が詰まる。

「挿りました」膝を掴んだまま、オウケンがちらりとこちらを見た。「痛くはないですか?」

「ああ、問題、ない」

 手首を反らして枕の端を握り締めると、オウケンはさらに奥へ食い込んだ。やがて一物は根本まで埋まり、尻たぶと睾丸が密着した。

「動きますね」

 オウケンが腰を引いた。天井を向いた足の先がびくりと跳ねる。腹の内側で得体の知れない生き物が身体をくねらせているようだった。

「う、ぁ」

 ぎゅっと目を瞑り、開いた口から必死に酸素を取り込む。

 ぎこちない抽挿がはじまって、オウケンの動きに合わせて、腹から押し出されるように呻き声が出た。マットレスが揺れ、ベッドの足が軋む耳障りな音がオウケンの息遣いに重なった。

 目を開けるが、視軸は定まらない。

「兄者の中、熱くて、キツくて、絡みついてきます」

 オウケンは夢中で腰を揺すっている。 

「ん、ぐ、ぁ、あ、あ、ぁ」

 艶の混じった声は止まってはくれない。スムーズな抜き差しの最中、目の前が涙で滲んでオウケンの顔がよく見えなくなった。全身が意思とは関係なく弛緩し、強張るのと同じく、生理的な涙だった。

「兄者、あっ、ぐ」

 オウケンは身を乗り出し、額を胸に押し付けてきた。腰だけが動いている。浅い部分を削り取られ、情けない声が出るが、必死にオウケンの背中を掻き抱いた。生き生きとした熱を放つ肉体は生命力に溢れ、筋肉が躍動している。肉体の境界線が曖昧になって、体温も鼓動も混ざり合った。

「兄者、ぅ、兄者っ……!」

「うっ、ぁ」

 円を描くようにオウケンの腰が揺れ動き、抉るように奥を突かれ、味わったことのない刺激が腹の底から突き上げた。甘い疼きを伴う灼熱感だった。愛する存在によって紡ぎ出されていくこの感覚を、きっと快楽と呼ぶのだろう。

「ぐ、っ、ん、オウケン」

 濡れた肉と肉がぶつかる音は、羞恥心を削っていった。汗ばんだ肌は熱気を放ち、生々しい性は無機な夜に甘美な吐息を吹きかける。未経験の法悦(エクスタシー)は、めまぐるしく戦前で昂った肉体を責め立ててくる。

 息ができない。

 気持ちがいい。

 汗で湿った肌からかすかに立ち昇る石鹸の匂いに、互いの汗の匂いが混じる。シワだらけのシーツの海に溺れながら、オウケンのことしか考えられなくなった。

 身体が熱い。

 気持ちがいい。

「オ、オウケン、待て、ぁ、なにか、くるっ、う、なんだ、これはっ」

 引き攣った喉から必死に声を絞り出して、オウケンの背中にしがみつく。かっと腹の底が火照り、目の前がちかちかと明滅し、赤色や緑色のまだらな影が、羊皮紙に滲むインクのように広がった。

 オウケンが体内の奥にあたると、頭の中で理性が弾けてしまいそうだった。ぐっとシーツを握り締める。

「ぅ、ん、あ、ぁ……!」

「ここが、気持ちいいのですか?」

「っ……!」

 足首を掴まれ、尻が持ち上がって結合部が天井を向き、オウケンが上から押し潰すように深く腰を沈めた。隙間なく下肢が密着して、どちゅん、と重々しい音がした。柔らかい臓腑の隙間を挽き潰され、目の前を横切っていた鮮やかな影がぎらぎらと光って、一瞬なにも見えなくなる。

「~~~~~~~っ! ……! っ、ぁ……」

 喉が反り、全身が痙攣して、筋肉が強張った。

 下半身に集まった血が沸騰したかのように腰回りが熱くなって、いつの間にか勃起していた自身からどっぷりと勢いなく白い蜜が溢れ出た。蜜はねっとりと糸を引いて下腹部に滴り落ち、溜まりを作り、振動で腹の上を伝い落ちていく。

 オウケンには気付かれなかったが、一瞬意識が飛んだ。快楽というものは、極限まで受け容れると失神するらしい。

「兄者の中、気持ち、いいですっ」

 小さな死に動揺していると、興奮を飼い慣らすことができなくなったオウケンに、容赦なくピストンを叩き込まれ、濁った声が止まらなくなった。

 男ふたり分の体重を受けて深く沈んだマットレスが大きく弾む。

「あっ、う、出ますっ……!」

 言い終わる前に、オウケンが体内で吐精するのがわかった。腹の奥の奥に、間歇的に熱いものが注がれている。

「ぁ、ぐ……」

 オウケンが身震いした。

 ゆっくりと下肢が下ろされ、浮いていた腰と尻がシーツに戻る。若い滾りが引き抜かれ、オウケンの子種が溢流する。

 オウケンは崩れた前髪を掻き上げ、熱っぽくオレを見た。

「兄者、すみません……その、まだ……おさまらず……」

 歯切れ悪く言うオウケンの股座では、射精を終えたばかりの性器が萎えることなく勢い付いていた。側面には脈々と血管が走っている。

 性行為はお互いはじめてだが、戦前で昂揚している肉体同士の交わりが、一度で終わるわけもない……どこか冷静になった頭でそんなことを思いながら、開いていた足をさらに広げる。オウケンによって拓かれた腹から、吐き出されたばかりのものが溢流している。

「くるといい。オレを、貪れ」

 弟は浅く息を吸った。突出した喉仏が大きく上下する。

「兄者……愛しています……」

 オウケンの両腕が胸の横で突っ張った。頭を傾けた弟と唇が引き合って、熱烈な口付けを交わす。鋭い歯でオウケンを傷付けないように慎重に突き出した舌を絡ませた。親愛が溢れたどこかたどたどし口付けは、これ以上ない魅力に満ちていた。

 ふっふと息を弾ませて、オウケンが腹の方へ視軸を移した。白濁に塗れた亀裂に、弾力のある先端が押し当てられ、少しずつ浅い部分に食い込んでいく。

「ん、う、っ……」

 精液でぬめるおかげか、挿入は一層スムーズだった。オウケンが腹の内側を暴き、埋めていく感覚にぞくぞくして、肺腑にこもった熱を吐き出す。

 オウケンが腰を揺すり、抜き差しがはじまって、腹を満たす苦しみが真っ白な陶酔に塗り潰される。

「う、ぁ、あっ、あっ」

 肉色の滾りが(とら)くした孔から抜け出る感覚は排泄感と同じであるはずなのに、なぜこうも気持ちがいいのか。

 血の通った肉と肉が粘ついた音を立て、羞恥心を擽る。

 浅いところから深いところを往復するオウケンの腰使いに、息がうまくできなくなる。余裕のない互いの呼気がシーツの上に転がった。

「あ、う、オウケン、オウケンッ……!」

 不意に沸点が近くなった。また気絶してしまいそうで怖くなり、両足でオウケンの括れた腰を挟み込んで背中を掻き抱いた。

「……っぁ、あ、ああ……ぐ、…………!」

 総身が硬直し、声が出なくなった。腹の底でぐちゃぐちゃに混ざり合って溜まっていた快感と法悦が煮えたぎる。真っ白な陶酔は雷に変じて全身を貫いた。息がうまくできない。

「は、ぁ、あ、あっ……」

「あ、ぅ、もう、出ますっ」

 肉の輪に締め付けられ、オウケンが達した。腹の奥がじんわりと熱くなる。

 男としての本能なのか、オウケンは蒔いた子種をしっかりと植えるように腰を押し付け、引き、再び押し付けてきた。

 萎えた性器が引き抜かれ、ひくつく孔の縁で濃い子種が泡立つ。

 快楽の余韻が連れてきた倦怠感に引きずられるようにオウケンが横に寝転んだ。

 杳杳とした静かな闇がふたりの元に戻ってきたが、眠るつもりはなかった。

 胴着に着替え、いつでも鎧を着られるようにした。昧爽のころには、進軍の準備をしなくてはならない。

「兄者」

 胴着の襟元を締め、オウケンが振り返った。先ほどまで色に煽られていた男ではなく、そこにいるのは、ひとりの将としての、堂々たる、毅然とした姿だった。

「あなたに必ず勝利を捧げます」

 オウケンの眼差しは真っ直ぐで、交差した視線は熱かった。

 父によって打ち込まれた恐怖と怨嗟の楔を砕き、人間も魔族も隔たりなく、冥府の民として安穏と暮らせる国にしよう。

 泥濘に足を取られてもいい。

 この手は血で染まっていい。

 必ず革命を成し遂げてみせよう。安寧を築き、秩序と平和をもたらす王となろう。

 燃え盛る決意を胸に、拳を強く握った。

 鎧を着込み、部屋を出て、廊下の途中でデスパーに会った。デスパーもまた、眠っていないようだった。

「行くぞ」

 たった一言そう告げて歩を進める。弟たちがあとに続く。

「兄者」

 デスパーに呼ばれ、足を止めることなく首を巡らせる。

「勝ちましょう」

 凛然とした声だった。弟の眸を見詰めたまま頷いて、微笑みを返し、正面を向く。

 革命がはじまる。夜明けの鼓動は高鳴り、息を吹き返した希望は、燦然と輝いていた。