信仰、煙、夜の闇

「呪腕さんもキングハサンもありがとう、テスカトリポカもお疲れ様」 

 戦闘を終え、「叡智の業火」を回収する前に前線の三騎の背中を見据える。

 敵のクラスがライダーだったので、アサシンである呪腕のハサンと山の翁、そしてテスカトリポカに同行を頼んだのだか、彼らのおかげで、わずか一時間足らずで抱えきれないほどの「叡智の業火」を確保できた。

 相性がいいとはいえ、敵は弱くないが、三騎とも擦り傷ひとつ負っていない。

 「此度の魔術師殿の采配も、見事なものでしたぞ」

 称賛の言葉を贈ってくれた呪腕のハサンに「ありがと!」にっと笑みを返して、一緒に敵が落としていった貴重な資源を拾って数える。

 ふと、嗅ぎ慣れたにおいがうしろから漂ってきた。

 振り向くと、テスカトリポカが煙草を咥えていた。火口からたなびく煙は、彼の隣に立つ山の翁の黒衣に吸われるように消えていく。煙が髑髏の仮面を掠めても、山の翁は大剣の柄頭に両手をのせたまま微動だにしない。

 山の翁と山の心臓――彼らが並んでいるのは圧があるな、なんて思いながら瞬きを一度して、視線を手元に戻す。

「呪腕さん、そっちはいくつありました?」

「こちらは」

「翁さんよぉ、信仰心を無くした同胞の首を落とすってのはマジか?」 

 テスカトリポカの声が呪腕のハサンの声に被さって聞き取れなかった。

「堕落せし者、それ即ち悪。我は悪を成す者を斬る」

 山の翁の地の底から響くような声に、呪腕のハサンと揃って彼らの方へ向き直る。

「原初の指導者が信仰のために身内すら殺すとは、ずいぶんと狂信的だな」

「我が信仰は狂信ではない。長たる者が主に背き、腐敗や怠惰、劣化により正しき営みへと導けぬのなら首を断つ。至極当然のことなり」

「……なるほどな。理にかなっている。いつの時代も、不敬なヤツはいるものだ。翁さんは神を敬い、オレは敬われる立場だが……案外通ずるものがあるのかもな、オレたち」

 テスカトリポカは煙を吐き出した。

「否」

 山の翁の眼窩に宿る青い炎が大きく明滅した。

「我らは純然たる信仰を貫いてきた。我らは信仰のためならば自己犠牲を厭わぬ。我らの歴史は屍山血河なれど、贄を求め、流血を望み、戦を好む貴様や、死ぬために生きる貴様の民の信仰とは非なるもの。故に貴様とは論ずるに能わず」

「論ずるに能わず、ね。平行線だな、オレたち。ほら見てみろ、マスターが困り顔だぜ」

 山の翁の方へ向いていたテスカトリポカの視線がこちらに滑った。それに倣うように、山の翁の青い炎が微かに揺れる。

「もしかして、ふたりって、相性悪い感じ……です?」おそるおそる訊ねてみる。わたしは彼らの信仰も、宗教的伝統も否定するつもりはないから、彼らの会話に口を挟むことはしないが、相性が悪いサーヴァント同士で前線に出てもらおうとは思わない。

 重たい間を置いて、テスカトリポカは視軸を山の翁へ向けた。

「さっきのは失言だった。すまん」

「構わぬ」山の翁は、やはり微動だにせず言った。

 ふたりはそれ以上なにも言わなかった。わたしは呪腕のハサンと顔を見合わせて、静かに胸を撫で下ろした。

 バレンタインデーに山の翁に贈り物をした時にお返しに受け取った香炉は、今でも大切に飾ってある。

 彼から香炉と共にもらった白檀の香は、頭を空っぽにしたい時や、心を安らげたい時に焚くようにしている。緩やかに立ち昇る煙は室内を柔らかな甘い香りで満たし、わたしを癒してくれる。

 たとえテスカトリポカがベッドに腰掛けて喫煙していても、魅惑的な香りが消えることはなかった。

「上等な香だな」

「わたしが選んだんじゃないの。キングハサンがくれたんです」

 テスカトリポカは煙草を咥えると、サングラスの奥でゆっくりと眸を瞬かせた。彼がなにを言いたいのかはわかる。「マジか?」テスカトリポカはそう言いたいのだ。

「わたしのお気に入りです」

 椅子に座り直し、両足を伸ばして、ブーツの先同士をこつこつとぶつける。

「それにしても、さっきはヒヤヒヤしちゃった」

「オレと翁さんとのやり取りにか?」

「うん。ケンカしちゃうのかと思って」

「ハッ、本気でぶつかり合ったらケンカなんて生易しいもので済む話じゃない。信仰と信仰のぶつかり合いは戦争になる。いつの時代も信徒同士のドンパチで血が流れてきただろう? 信仰心というものは誰もが持っているものだ。相手が異教徒だろうと、踏み入ってはならん領域というものがある。それはサーヴァント同士であれ尊重すべきものだ。さっきは、オレが悪かっただけだ」

 テスカトリポカの価値観に圧倒された。神というものは、他者の信仰には厳しいものかと思っていた。いや、多神教であるアステカ文明の中で最も敬われていたテスカトリポカだからこその価値観なのだろう。

 椅子から腰を上げ、テスカトリポカの隣に座る。煙たい。

「キングハサンとは、また出撃できそうですか?」

「当然だ。問題はない」

「そっか……なら、よかった。それじゃ、また明日もよろしくお願いします!」

「戦いはいつだって歓迎だ。おまえも明日に備えて休んでおけ。戦士にも休息は必要だ」「もう寝ます」重くなった瞼を擦ると、眠気が一気に押し寄せてきた。

 香炉から伸びる甘い香煙に、テスカトリポカの苦い紫煙が混ざり合い、信仰にも似た混じり気のない夜が深まっていった。