ジュブナイル

 幼い頃、眠る前に父や母に本の読み聞かせをしてもらうのが好きだった。特にお気に入りは、ハッピーエンドの明るい話だったのをよく覚えている。
 平凡な女の子は数多の苦難を乗り越えてお姫様になり、王子様と結婚して幸せになる。そして、幸せは永遠に続く。世界に害をなす怖い怪物は最後に倒される。悪となる存在は必ず倒されねばならない。童話の世界とはそういう風にできている。
 もしわたしが物語の中に登場するのなら、平凡な女の子と怪物、どちらになるのだろう——物語に由縁のあるサーヴァントたちにそんな話をした。彼らは不意を突かれたようにキョトンとして、各々顔を見合わせた。それからわたしを見て微笑んだ。
「マスターは砂糖とミルクたっぷりの紅茶よ」
「悩めるマスターには我輩のソネット十七番を贈りましょう」
「マスターの物語か。さぞや分厚くなるだろうな」
 御伽話の化身も、悲劇も喜劇も書いてきた作家たちも、誰も女の子とも怪物とも言わなかった。もしかしたら、どちらかではなくて、どちらもわたしなのかもしれない。平凡な女の子は、怪物になってしまったのだ。
 果て、そうなると、この物語の幕引きはどうなるのだろう。誰もが嘆く悲劇だろうか。誰もが感動する喜劇だろうか。わたしの終わりに拍手を送ってくれる人はいるだろうか。わたしの行く末を最後まで読んでくれる人はいるだろうか。
 ひとりベッドで膝を抱えて考える。身体が泥に沈んでいくような孤独感と、白紙化された世界を取り戻すために七つの世界を壊してきたことへの罪悪感がちりちりと心を灼いていく。感情を殺してきたはずなのに、そういう訓練だって受けているのに、時々泣き叫んでしまいそうになる。
 瞼を下ろして溜息を吐いた。眠気の霧が頭の中に立ち込めた時、入口のドアがスライドする無機な音がした。
 目を開けて頭を持ち上げる。訪問者はテスカトリポカだった。
「おー、おー、マジで死人のような顔だな」
 テスカトリポカは眉間にシワを寄せて苦笑して、わたしの隣に腰を下ろした。
「童話の嬢ちゃんが言ってたぜ。マスターがスクルージの少年時代のような顔をしているってな。ちなみにスクルージってのは『クリスマス・キャロル』の主人公だそうだ」 テスカトリポカは「三人の幽霊が出てくるらしい。オレは読んだことはないがね」と続けて鷹揚とわたしの方へ顔を向けた。
「で、なにを悩んでいる?」
「それは」
 身じろぎして膝を抱きかかえ直す。
「わたしはもう、童話に出てくるような平凡な女の子じゃないのかなって考え出したら、もう、よくわからなくなっちゃって」 
 ベッドの縁に載せた足を引き寄せ、伸ばしていたつま先を丸め、また伸ばす。血色のいい爪は、天井からの白い燈を浴びて真珠色に照っている。
「オマエは夢見る乙女でも、恐れられる怪物でもない。そんなはっきりとした存在ではないだろう。そうだな……意味の詰まった行間……というところか。読み手によって受け取り方が変わる。世界を救った女か、はたまた世界を壊した女か。真意は誰にもわからない」
 テスカトリポカのサングラスのレンズの奥で、涼しげな碧眼が細まる。
「ハッピーエンドかバッドエンドかなんて、読んだ人間が決めるものだ。オレはオマエが最期を迎える時まで傍にいると決めている。結末がどうであれ、オマエの行く末を見届けたあとには、一番最初に拍手を送ってやる。だから、これからもオマエはオマエの物語を紡いでいけばいい。立ち止まるな」
 大きな手が頭に載った。髪が乱れるくらい撫でられて、肩から抱き寄せられた。暖かな抱擁だった。
 目頭が熱くなって目の前が水っぽく歪み、唇が震えて、嗚咽が漏れそうになって歯を食い縛る。
 彼の言う通り、わたしの物語は否が応でもこれからも続く。困難を乗り越えて、足掻いて、世界を壊し、積み重なった犠牲の上に立ち、生きていくのだ。
 テスカトリポカの腕の中で少しだけ泣いた。インクが紙に染みていくような安心感が胸に広がった。