1972年の夏は暑かった

 

「俺、車に乗ってみたい」
 レッカーズ・ヤードに放置されたピックアップトラックの、ひび割れて汚れた窓硝子から運転席を覗き込んでビリーが言った。
 彼の横顔を見詰めて「乗ってみる?」と返すと、好奇心で爛々と輝いた眸と視線が交わった。
「いいの?」
「うん。鍵もかかってないから」
 俺の記憶から作り出されたこのトラックは、1972年の夏に廃車になって、車の心臓となるパーツを抜き取られている。故に二度とエンジンがかかることはないが、運転席に座るくらいならできる。
 運転席のドアを開けると、埃臭さが鼻先を掠めた。
 ビリーがシートにおそるおそるといった様子で座ったのを確認してからドアを閉めてやる。それから助手席側に回った。反対側のドアもあっけなく開いた。身体を屈めて乗り込むと、車体が小さく揺れた。
「かっこいい」ハンドルを握り、ビリーは笑った。「テレビで観たまんまだ」
 無邪気なビリーが愛らしくて、頬が崩れた。埃で白くなったバックミラーを掌で拭い、シートに凭れ掛かる。もし、車が動いて、ビリーの運転でこのまま遠くにふたりで行けたらどんなにいいだろう。神が作り出した箱庭から出られないのはわかっているが、ついそんな子供じみたことを空想してしまう。
「あ、レイス」
「ん?」
「俺、免許持ってない」ハンドルを握ったまま、ビリーははっとしたように俺を見た。「それだと運転できないね」
「大丈夫。アメリカじゃ、70年代に無免許運転するやつなんてごまんといたさ」
「そうなの?」
「そうだよ」
 見詰め合って、一拍置いて、ふたりで噴き出した。
「運転する時は、最初にこの変速装置を切り替えるんだ」
 ふたりの間にあったシフトノブのグリップを示指で叩くと、ビリーは俯いて、覗き込むようにして、やはりおそるおそるといった様子で慎重にグリップを握った。彼の手の甲に自分の手を重ねて操作してやる。
「これでハンドルを握って、アクセルペダルを踏むんだ」
「レイスはなんでも知ってるね」
 ふっと顔を上げたビリーと、顔の距離が近かった。お互い小さく息を呑む。狭い車内にふたり並んで座っているだけなのに、今すぐにキスがしたくなった。
「ビリー」吐息で名前を呼んで、頭を傾けて瞼を下ろしながら、半開きのままの唇を塞ぐ。舌を差し込み、息を継ぎながらキスをする。ビリーは積極的だった。互いに舌を追い求めて動くたびに、オンボロトラックが右へ左へと傾く。
「レイス」ビリーの言葉の端に、湿り気を帯びた艶っぽさが宿っていた。「えっち、したくなっちゃった」
「……俺も」
 腰回りはすっかり重たくなっていた。劣情が腹の底でぐらぐらと煮立っている。股間では、包帯の下で一物が膨らんで硬さを得ていた。
「レイス、えっちしよ?」
 ビリーの片手が股間を撫でた。甘い期待のこもった視線を受けて、喉が鳴る。
 時間の止まった古びた車の中で、生き生きとした淫らな欲望がエンジンを蒸した。