襟尾×津詰

 八月も終わりだというのに、夕方になっても日差しは強いままだった。アスファルトの照り返しに顔を顰めて、蝉の鳴き声にうんざりしながら住宅街を抜けた。
 隣を歩くエリオを一瞥すれば、額には玉の汗が光っていた。
 先日起きた殺人事件の手掛かりを得るためにこうして朝から近隣住民に聞込捜査をしているわけだが、今のところ大した証言は聞けていない。だが、こういう地道な仕事こそ大切なことだ。些細なことが事件解決の糸口に繋がることがある。刑事というものは靴底をすり減らせばすり減らすほど経験値が積まれていく。
「暑いですね〜」
 手の甲で顎を拭ったエリオの呑気な声が蝉の鳴き声に被さる。
「あ、ボス、あそこに自販機があります。なにか飲みましょう」
 エリオが前方を指差した。指の先を追って視線を滑らせると、路地の片隅の日陰に飲料の自動販売機があった。ちょうど冷えたコーヒーが飲みたかったところだ。
「そうだな。少し休憩するか」
 頭上で燦々と輝く太陽を背に自動販売機の前で揃って足を止める。無色のパネルには、ジュースに炭酸飲料、コーヒーが並んでいる。
「ボスはなににしますか?」
「コーヒーにする」
 懐から財布を取り出し、硬貨を確認する。さっきエリオに昼飯を奢った時の釣銭で買える。
「オレもコーヒーでお願いします。ご馳走様です」
「奢るとは言ってねえよ。別にいいけどな」
 コーヒー二本分の小銭を投入し、ボタンを押すと、がこんという鈍い音がして細長い缶が取り出し口に落ちてきた。屈んだエリオが缶を取る。もう一度ボタンを押すと、二本目の缶が落ちてきた。エリオの両手が塞がった。
「よく冷えてます」
 エリオから渡された缶を受け取る。確かに冷えている。
 プルタブを持ち上げて開けて、一口飲んだ。胃に向けて冷たいコーヒーが伝い落ちていくのがわかる。火照る身体に沁みていくようだった。
「美味いな」
 体内にこもる体温を吐き出すようにほうっと息をつく。俺が二口飲む間に、エリオは缶を傾けてぐびぐび飲んでいた。
 ぷはっと気持ちのいい溜息を零して、エリオは「生き返りますね。聞込、まだまだやれそうです」拳を胸まで掲げた。
「そうだな。もう一踏ん張りするか」
 屈託のない笑顔に肩の力が抜ける。捜査が進まない焦燥が足元に転げ落ちた。たまにはエリオのポジティブさを見習ってもいいのかもしれない。
 温い風がふたりの間を吹き抜けていった。途絶えることのない蝉の鳴き声が喧しい。
「ボス」
 缶を口元に寄せたエリオが思い出したように声を上げた。缶から視線を上げる。黒目がちの双眸と視線がぶつかった。
「オレ、ボスとこうして一緒に捜査ができて嬉しいです」
 白い歯を見せてエリオが懐っこく笑った。双眸には熱っぽい親愛が揺らいでいた。西陽の届かない自動販売機の前で、長いこと――ほんの十秒ほどだが――見詰め合った。上司に向けるのには情熱的過ぎる眼差しだと思ったが、不思議と悪い気分ではなかった。
 靴底がすり減っていくのに比例するように、エリオとの信頼が深まっていく。エリオからの親愛は太陽とコーヒーの香りがする。