春を待つ鋼鉄

 新シーズン開幕前の二週間、Apexゲームに参加しているレジェンドたちには休暇が与えられる。

 その休暇を利用して、パスファインダーと遠出することになった。彼からの提案だった。誰某からもらった木の苗を植える場所を探したいのだという。

「君と一緒に遠くへ行って、この苗を植えたい」

 私が人が多い場所を好まないのを知っているのか、はたまた、なにか思惑があるのか、パスファインダーは胸部ディスプレイにハートを浮かべて、それはそれは嬉しそうに言った。

「なぜわざわざ遠くに埋める?」

「実はね、百年に一度、春の間だけきれいな花が咲くんだって。だから、誰も知らない秘密の場所に植えたいんだ。ソラスの西へ行ってみない?」

 常夏の惑星ソラスは、立入禁止の危険区域が多い。資源採取や開発が進められる予定だったが、今は資源価値がないとして打ち棄てられ、忘れ去られている土地がほとんどだ。

 地平線の果てに痩せ細った大地があるのか、はたまた沃土が待っているのかはわからない。一種の賭けだと思った。

 ひび割れた褐色の植物鉢を抱きかかえ、パスファインダーは「地図ならあるよ」と続けた。

「人間には無理だけど、僕と君なら百年後でも見られるでしょ?」

 苗は自分たちの膝丈ほどの長さで、真っ直ぐに伸びている。未熟な幹は白く細く、暗褐色の葉は少ない。ひどく頼りなく見える苗が大樹に育つ様が想像できなかったが、パスファインダーの熱意には敵わなかった。

「……付き合ってやってもいい」

「やった。それじゃ、今夜出発だ!」

 こうして、下弦の月が夜の真ん中で光る晩、路銀と鉢植えを持って、街を出た。

 夜行列車に乗って、終点で降りた。降りたらまた乗り継いで、終点で降りた。それから西に向けて歩いた。どこまでも。

 街を抜け、人の気配がなくなって久しい気がした。進むにつれて外角センサーが放射線を検知したが、構わず歩き続けた。

 深山幽谷の地に辿り着いたのは、二日目の夜だった。

 開拓された土地にまだ自然豊かな場所が残っているのには驚いたが、パスファインダーが持ってきた地図(『ソラスを歩こう! 立入禁止区域・危険区域記載版』)を見たところ、この場所は放射能汚染による立入禁止の危険区域だった。なんらかの理由で除染作業ができず、人々が営むことができない土地だろうと、細胞を持たない鋼鉄の身体には関係がない。

 星が瞬く下で木々に囲まれ、湿った夜気を吸い込むと、皮付きどもであふれた都会の臭気を忘れた。

「よし、この場所に植えよう」

 辺りを見回したあと、パスファインダーは拓けた場所でしゃがみ、鉢植えを置いて、手で土を掘りはじめた。

「スコップを忘れちゃったんだ」

 錆び付いた角ばった指が未踏の地を少しずつ掘り返す様を見下ろして、彼の健気さに排気する。

 パスファインダーに倣って腰を落とし、頭を突き合わせるようにして、手伝ってやることにした。

「レヴナント? 君の(エンドエフェクタ)が汚れちゃうよ」

 驚いたのか、パスファインダーは手を止めて頭を上げた。彼の視線と気遣いを無視して、硬い土を指先で掘り起こす。

「構わん。お前こそ、それ以上錆が増えるようなことはするな」

「うん……ありがとう」

 二機(ふたり)で黙々と穴を掘った。

 身を乗り出さないと底に届かないほど深く掘ったところで、パスファインダーは慎重に苗を鉢から取り出し、掘ったばかりの穴に移動させた。

「これでよし」

 土を被せてようやく、地植えの作業は終わった。空っぽの鉢は持って帰るらしい。

「三十年もすれば大きな木になるね。きっとあっという間だ」立ち上がって、手を叩いて土をはらいながら、パスファインダーは言った。「百年後が楽しみだね」

「その間にお前が壊れなければいいが」

「僕は大丈夫だよ。前にも言ったでしょ。僕は君より先に壊れたりなんてしない。いつまでも君のそばにいるって約束したからね。あ、もしかして心配してくれてるの?」

「貴様のポンコツっぷりは見ていて心配になる」

「僕はポンコツなんかじゃないよ」

 パスファインダーの胸部ディスプレイは哀しみを表す青色になったが、すぐにいつもの眩しい黄色に切り替わった。

「どんな花が咲くと思う?」

「こんな貧相な苗だけでは想像もつかん」

 植えたばかりの木を見下ろす。百年後に、一体どんな花が咲くのだろう。

「君とデートできてよかったよ。さぁ、帰ろうか」 

「……もう少し、ここにいないか」

「うん。いいよ。どこかに座っておしゃべりしようか」

 辺りを見回し、数ヤード離れた場所へ顔を向けて「あっちだ」他の木よりも目立つ古く大きな樹木の下を指さした。

「大きな木だ。いいね」

 駆け出したパスファインダーのあとを追って、鷹揚と苔むした土を踏み締める。母なる大地は柔らかい。

 樹の下に辿り着くと、パスファインダーは分かれた太い木の根の間に腰を下ろした。盛り上がってうねる根は、土の中へ続いている。脈々と巡る力強い生命を感じた。

 彼の隣に座ると、先ほど植えた苗が見えた。

「静かだね」

「……ああ」

 辺りには杳杳とした夜の色だけが広がっている。幽寂が心地いい。まるで世界から二機(ふたり)だけが剥離されたような、完璧な静けさだけがあった。

「月明かりって、こんなに明るいんだね。僕知らなかったよ」

 彼の言う通り、アイセンサーを暗視モードに切り替えずとも、白い月明りだけで十分遠くまでよく見えた。

「あ」

 不意にパスファインダーが声を上げた。

「見て、あそこに鹿がいる」

 パスファインダーの指先が示す方角へ視線をやると、青白い景色の真ん中で、一頭の牡鹿が悠々と草を食んでいるのが見えた。頭を擡げて咀嚼する牡鹿の黒黒とした目には、無垢な安心感と楽園の安寧が映っていた。

「ここには動物もいるんだね」

「ソラスにこんな場所が残っているのが奇跡だな」

「百年後に、君とこの場所できれいな花を見るのが楽しみだ」

「百年は、長いぞ」

「わかってる」

 指を握られた。彼の手は土の香りがした。

「覚えておいてレヴナント。僕は今までも、これからもこうして君の隣にいる。ここは僕の特等席だ。誰にも渡さない」

「独占欲を覚えたのか? 安心しろ。私のそばにいることを望むのはお前だけだ」

 彼は胸部ディスプレイをピンク色にさせた。

「僕たちの間には愛があるね」

「ハッ、愛か」

 機体にこもった熱を排気して、親指の腹でパスファインダーの手の甲を撫でる。

 この先百年は孤独(ひとり)ではない。生の苦痛は続くが、隣に彼がいるなら、それも少しは和らぐ。百年の間に、果てのない宇宙に放り出されたソースコードが見付かるとは思ってはいない。

「私はお前と春を待つとしよう」

 パスファインダーはなにも言わなかったが、強く手を握ってきた。

 たとえ先に彼が機械としての寿命を迎えたとしても、その亡骸を抱きかかえてでも、私はここで春を待つだろう。