二階堂兄弟

 洋平とは、母の腹にいた頃から一緒だった。
 同じものを見、同じことを感じて成長し、同じ歩幅で、並んで歩いてきた。いつも一緒だった。たった一人の兄弟だ。誰よりも愛していた。喜びも悲しみも二人で分かち合ってきた。
 これからもそうなる筈だったのだ。
 それなのに――独りになってしまった。

 灯りのない部屋の片隅で骨壷を抱き、洋平との思い出に浸った。時々口の端が緩んだが、哀しみがそれを掻き消した。胸が張り裂けそうになるたびに骨壷を撫で、目を閉じる。その繰り返しだった。
 窓から差し込む月の光が弱まり、耐え難い眠気に襲われて目を閉じた。

 目を開くと、生まれ育った家の、自室にある文机の前で端座していた。
 手元に視線を落とす。父と母に宛てて手紙を書いている途中のようだった。不思議なことに、字は読めるのに、内容が頭に入ってこなかった。
「浩平、早く寝ろよ」
 はっとして振り返ると、洋平が敷いた布団に肘枕を突いて、目をしょぼつかせて此方を見ていた。
「明日は早いんだから」
「あ、ああ」
 促されるまま、文机のそばの灯りを消してのろのろと腰を上げ、窓から差す白い無機な月明かりを頼りに布団に向かう。
 寝間着の帯が緩んでいたので、きつく結び直した。
 布団に横たわる。隣で洋平が小さくくしゃみをした。
「なぁ、洋平。そっちに行ってもいいか」
「え? なんだよ、気持ち悪いな」
「そう言うなよ」
「……まぁ、いいや。来いよ。なんだか餓鬼の頃を思い出すな」
「俺の布団に入ってきたのはいつも洋平だろ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。寝ぼけて俺をおふくろと間違えて入ってきたこともあったろ」
 暗がりで腹ばいになりながら、洋平の布団に入った。温かい。はだけた寝間着の間から伸びる足がぶつかって、洋平がくすぐってぇなと笑う。
 一つの枕を二人で使えるわけもなく、洋平の首元に頭を置いた。よく眠れそうだ。
「北海道は、冬はクソ寒いんだろうなぁ。早く戻れるといいな」
「北海道? なんの話だ?」
「寝ぼけるなよ。出征は明日だぞ」
 洋平の吐息が鼻先に掛かる。
「北海道……」
 ぽつりと声に出してみる。なにか大切なことを忘れている気がしたが、それがなんなのかわからない。頭の中が真っ白になって、言い知れぬ哀しみが湧いた。
「浩平? どうした?」
「……洋平……」
 言葉は最後まで続かず、気が付けば洋平の背中に腕を回して出来る限り密着していた。目頭が熱い。何故、涙が出るのかわからない。
 ただ、ここで洋平をしっかりと抱き留めないと、彼が遠くへ行ってしまうような、そんな曖昧な恐怖があった。
「泣くなよ」
「泣いてない。泣くもんか」
 洋平の背中を掻き抱き、目を閉じる。名前を呼ぶ時の穏やかな声音も、触れる温もりも、すべてがただただ愛おしい。
「泣くのはいつも俺からだったろう」
 ——そうだ。幼い頃、兄弟喧嘩をしても泣くのはいつも洋平で、先に謝るのも洋平からだった。悪さをして父に叱られ、頭を打たれて泣き出すのも、洋平が先だった。
 起き上がった洋平を、縋るように抱き締める。
「俺を置いて行かないでくれ」
「……泣くなよ、浩平」

「洋平……っ!」
 視界に飛び込んできたのは風呂敷の結び目と、その横の薄闇に浮かぶ己の白い手だった。
 夢を見ていたのだと気付く間に、心の臓が何度も大きく拍動していた。
「あ……ああ……」
 自分が洋平より先に泣いたのは、故郷を発つ前夜だった。あの時、泣くなと背中を抱いてくれたのは洋平だ。
 だが、洋平はもういない。
 たった一人の男の所為で、すべてを無くしてしまった。
 この恨みを忘れるものか――。
 腹の底から込み上げる怒りを押し殺し、風呂敷で包んだ骨壷を抱き直す。ざらついた風呂敷は温かい。
 「洋平……早く、静岡に帰ろうな」
 返事をするように、蓋がかたりと小さく鳴った。
 愛おしい兄弟の分まで、生きなくてはいけない。