ラカムに、おごってやるからと連れられて来た店は、ポート・ブリーズでも美味いと評判の高いレストランだった。
小ぢんまりとした店内は明かりが少なく、落ち着いた雰囲気で、ウェイターの物腰にも品があった。優雅な音楽も流れている。敷居の高い店はしっくりこねぇなんて思っていたが、ラカムが頼んでくれたワインを一口飲んでみて、そんな考えは消えた。
テーブルに運ばれてくる料理はどれも久し振りに食べるような豪勢なものばかりだった。
牡蠣とほうれん草のパイ、キノコと香味野菜が詰まった鳥のロースト、白インゲンとコーンのソテー、オリーブが香るアンチョビとハムのピザ、ベーコンとじゃがいものスープ……喉が鳴った。美味い酒に美味い料理。極上の夜だ。
数々の料理に舌鼓を打ったあとに出てきたデザートは小振りなブラックベリーのタルトと、バターの添えられた焼きリンゴだった。シナモンの香りがたまらなかった。
「最後の晩餐はこの店で取りてぇよ」
指の腹に付いたタルト生地のくずを舐め取って呟くと、向かいでラカムが笑った。
「満足してくれたならよかった」
「しっかしなんでこんないい店にしたんだ? もっと他に店はあったろ?」
筒状に丸められて伝票入れに収まる伝票を一瞥して首を傾げると、ラカムは頬杖を突いたまま片眉を上げた。
「こう見えて雰囲気を大事にする男なんだぜ、オレは。大事な話をする時は特にな」
「大事な話?」
「ああ、前に――」
「お待たせ致しました」
ラカムが神妙な面持ちで口を開いた時、ウェイターが新しいグラスを運んできた。泡の厚い冷えたビールだ。
ウェイターが去るのを視線で送って、グラスの中身を半分ほど煽って、ラカムは背筋を伸ばした。つられて背筋が伸びた。大事な話とは、なんだろう。
「あー……悪ぃ、やっぱり店を出たら話すことにする。まだオレの心の準備ができてない」
ラカムはそう言って肩を竦め、皿に残っていたピザを一切れ取った。
店を出て、閑散とした夜の街を並んで歩いた。宿屋までは大した距離ではないが、ラカムはなかなか話を切り出さなかった。
「で、話ってなんだ?」
ラカムが咥えた煙草の先から立つ白煙をなんとなく見詰めて問うと、ラカムは足を止めた。
それに倣って立ち止まる。煉瓦敷の歩道に伸びた影は、ラカムの方が少しだけ長かった。
「少し、遠回りしていかないか?」
ラカムの提案通り、宿屋への道を逸れ、鷹揚と歩き続けた。いくつか橋を渡り、気が付けば、草原を臨む町外れまで来ていた。
深い夜が辺りを包んでいた。夜風に靡く草の群れがさざめいている。
「ここって……」
「そう、オレとアンタが出会った場所だ」
間を吹き抜けた一陣の風に、ラカムの声が流れていった。
「懐かしいな。墜落たグランサイファーの前に突っ立ってたガキの頃のオメエさんを思い出すぜ」
「オレとアンタのはじまりの場所だ。どうしてもここで伝えたかった。ほら、オレが前に告白した時に、アンタの残りの人生をくれって話したのを覚えてるか」
「ん? ああ、覚えてる」
ラカムが真意を涙ながらに吐露したあの夜のことは忘れもしない。己に長年向けられていたひたむきな情熱を享受し、関係が進展して、今に至るのだから。
「その約束を、形にできたらと思ってたんだ」
「それって……指輪、ってことか?」
「いや」ラカムは即答した。「それは露骨すぎるかと思って他の物を考えた」
ラカムが腰に巻いたタスティカルベルトのポーチからなにか取り出した。掌より二回りほど大きい、黒い皮張りの箱だった。
「開けてみてくれ」
差し出されたそれを受け取って開けてみると、シンプルな金色のバングルが納まっていた。細いフォルムは月光を吸って曇りのない輝きを放っている。手に取ると、しっかりとした金の重さを感じた。グローブを外して手首に着けてみると、大きすぎず小さすぎず、しっくりきた。
「アンタが昔してたようなピアスにしようかとも思ったけど、こっちの方がそんなに目立たないし、案外軽いからグローブしてても邪魔にはならないだろ?」
「ほぉ、いいもんじゃねぇか。気に入ったぜ」
ラカムはホッとしたように笑った。
「綺麗だな。オレには勿体ねぇくれぇだ」
空に浮かぶ満月に向けて手を翳してみる。手首を一巡する金色の輪は、この世のどんな宝石や装飾品より美しく見えた。
「オイゲン」
横からラカムの手が伸びてきて、大きな掌に指を握られ、胸元まで引き寄せられた。分厚い胸に当たると、熱い鼓動を感じるようだった。
「アンタを、オレの一生をかけて幸せにする。だから、そばにいてくれ。オレを置いてどこかに行こうなんて思わないでほしい」
中指の付け根に唇が押し当てられて、心地好い静寂が降ってきた。胸の奥がじわりと熱くなる。
「……約束してくれ」
ラカムの眸が潤んでいるように見えるのは、月が叢雲に翳ってしまったからだろうか。握られた手に緩く力をこめる。指先から伝わるのは、かけがえのない優しい温かさだった。
「こんなジジイでいいなら、死ぬまでそばにいてやるよ」
泣くのを堪える子供のような表情のラカムに抱き寄せられ、肩口に顔が埋まった。
かつて自分の背丈の半分もなかった少年は、今やこんなにも立派に成長して、自分と向き合っている。もしかしたら、昔から、抱き締められていたのは自分の方だったのかもしれない。
「ありがとよ、ラカム」
手放したくない未来の抱擁は、年甲斐もなくオイゲンの胸を熱くさせた。胸の奥に灯った火が消えることはないだろう。
これからは、ラカムと、同じ歩幅で、同じ方向を向いて歩いていく。安寧のために生きていく。ラカムとなら、支え合って、泥濘の中も歩いて行ける。
「愛してるぜ、オイゲン」
熱っぽい囁きに身を委ね、目を閉じる。
月が綺麗な夜だった。