※若オイゲンと子ラカム
オイゲンが、負傷した。
魔物との戦闘中、他の仲間をかばって脇腹に一撃喰らったという。傷はそんなに深くはないが、毒のせいで意識はなく、即、島の医者に担ぎ込まれた。
そんな話を他の団員から聞かされた時、居ても立っても居られず艇を飛び出していた。
人混みの間を縫って市場を走り抜け、途中ですっころんでもすぐに起き上がり、胸にふっと湧く不安を押し殺して、とにかく走った。
肩で息をして病室に飛び込むと、空気は冷たく、窓際のベッドに、横たわるオイゲンがいた。そばには白衣を着た老年の医者がいた。医者は最初目を丸くさせていたが、こちらを見て――走りすぎて汗まみれ、おまけに不安のあまり少し泣いてしまったので目が赤かったのかもしれない――静かな声で言った。
「もう大丈夫。解毒剤を投与したばかりでね。今は眠っているよ」
そばにいてあげなさいと医者は言って部屋を出た。
呼吸が落ち着いてからオイゲンのそばに寄った。寝顔は穏やかなものだった。シーツをめくると、腹に分厚い包帯が巻き付いていた。大きく上下する胸を見てほっとした。頬に触れると、冷たい空気に晒されて、ちょっとひんやりとしていた。
「よかった……」脱力して、床にしゃがみこんだ。
ベッドの淵に上半身を預けると、安心感からか、眠気がのしかかってきた。折り畳んだ腕に顎を載せ、じっとオイゲンを見詰める。
傷は痛むだろうか? いつ目が覚めるだろうか……?
窓から差し込む弱い日差しに濡れているオイゲンの手を握り締めて、少しだけ眠ることにした。
夢を見た。ラカムが暗闇の中でさめざめと泣いている夢だった。そばに寄って何故泣いているのか問うと、ラカムはしゃくりあげて、なにも言わずに抱き着いてきた。ぶつかるような抱擁を受け止めて頭を撫でると「遠くに行かないでくれよ」と震える声でラカムは言った。顔は涙と鼻水で濡れている。
「お前を置いてどこに行こうってんだ?」
そう言ったつもりだったが、不思議なことに、声は声にならなかった。ただ、ラカムの頭を撫で続けた。
――そこで意識が浮上した。
見知らぬ白い天井が飛び込んできた。刺激臭のような、なんとも言えない薬品のにおいがする。どうやら、助かったらしい。最後に見た魔物の醜い顔を思い出しながら、視線だけで辺りを見回す。ベッド以外には四角い窓とドアしかない部屋だった。
「ん……?」
視界が暗い方の手に違和感を感じて頭を傾けると、真横でラカムが自分の手に覆い被さるようにベッドにもたれて眠っていた。ラカムの細い腕に載った白い頬が「むにゅっ」という擬音が似合いそうなくらい柔らかそうだった。
握られていない方の手を突いてゆっくり起き上がると、左の脇腹が鈍く痛んだ。
「ん……あ……オイゲン……?」
ラカムの睫毛が震えた。
ぱっちり開いた目と視線がぶつかったと思ったら、みるみるうちに涙が溜まっていった。
「目が覚めるのがおせーよ、おっさん」
「悪ぃ、寝過ごしちまったな」
「心配かけさせやがって」
ラカムの声は震えていたが、オイゲンの手を包み込む小さな手には、しっかりと力がこもっていた。その柔らかい手を握り返すと、心地好い体温が伝わってきた。
「おはようさん」
泣いたのを誤魔化すように、顔を上腕でごしごしと擦ったあと、ラカムはゆっくりと立ち上がって鷹揚とベッドに身を乗り出し、べそを掻いたままぎゅっと抱き着いてきた。
「ずっとそばにいてくれたんだな、ありがとよ。もう、大丈夫だ」
「無茶しないでくれよ。オイゲンになにかあったらオレ……どうしていいかわからねぇもん……」
顔を上げたラカムの顔は夢で見たものと同じだったが、頬を摘まむと、ほんのり紅潮した泣き顔は、安心感に満ちた微笑みへと変わった。尖った上唇がいかにも甘えん坊っぽく、子供らしい。
「オメエを置いてどこにも行きやしねぇよ」
「約束だぞ」
「ああ、男同士の約束だ」
愛らしいその笑顔は、病み上がりの身体に染み渡った。
オイゲンは笑って、ラカムの髪がくしゃくしゃになるまで頭を撫でて、思い切り抱き締めた。