「聖夜ってのはいいねぇ、甘いもんが選り取り見取りだ」
聖夜のために一月前から熟成させたケーキの最後の一切れを平らげたあと、オイゲンは満足そうに溜息を吐いた。
「別に聖夜じゃなくったってアンタはいつも甘いもん食べてるだろ」
親指の腹に付いた粉砂糖を舌で拭ったオイゲンの向かいで、ラカムはブドウ酒の注がれたゴブレットを口元で傾ける前に言った。
「ラカムゥ、その季節にしか楽しめねぇ風情ってもんを大事にしなきゃだめだぜ。しかし美味いケーキだったな。果物の味がよく染みてた。少し酒も入ってるだろ?」
「ご名答。洋酒に漬けた果物だけじゃなくて、ブドウ酒も生地に練り込んであるらしくてな。さすがにこれはルリアちゃん達には食わせられないから、アンタと食おうと思って」
夜更けに男ふたり、宿泊先の部屋で酒と肴――今日のメインはこの日のために用意したトンネル型の、ドライフルーツやナッツが詰まった、粉砂糖がふんだんにかかったケーキだが――を持ち込んで、のんびりと飲み交わすのも悪くなかった。
酒場の愉快さも好きだが、オイゲンと二人きりで過ごせるのは素直に嬉しかった。特に今日は、特別な気分になれる。
酔いも回り、オイゲンはすっかり上機嫌だった。
「聖夜かぁ。思い出すぜ。オメエはガキの頃、この時期になるとイタズラしなくなって、おとなぁしくしてたなぁ」
腰掛けたソファに寄り掛かって足を組んで、オイゲンは懐かしそうに目を細めた。
「ツリーの飾りつけもしたっけな。オレの肩に乗って、てっぺんの星を飾って大喜びしてた」
「ああ、覚えてるさ。アンタがどこからか木を伐ってきたよな」
喉の奥でくっくと笑って、ラカムは何杯目かのブドウ酒を注いだ。
オイゲンの言う通り、自分にもそんな子供時代があった。今でも、よく覚えている。聖夜の翌日、枕元に置かれたプレゼントを見付けて、朝一番にオイゲンに「サンタクロースがきたんだ!」と報告に行ったことも覚えている。全部、大切な思い出のひとつだ。
「年を取るもんだよな、オレも、オメエさんも。ま、聖夜くらいジジイだって浮かれるくらいしてもいいよな」
「浮かれるのはいいけどよぉ、オイゲン、髭に粉砂糖付いてるぞ」
「んん?」
オイゲンの額に皺が寄った。彼は手の甲で口髭を何度か擦った。
「取れたか?」
「いや」ラカムは噴き出した。「ひどくなった」
褐色の髭の端から中央にかけて太い白線が一筋伸びてしまっている。酔ったオイゲンはさほど気にしていないようだが、子供じゃあるまいし、そのままにしておくのは忍びない。
「仕方ないな」
ラカムはソファから立ち上がり、料理の載ったテーブルの横を通って、オイゲンの前に立った。猫背勝ちに身体を屈め、片手をオイゲンに伸ばしかけ、ふと目を瞬かせる。
――キスがしたい。
それは唐突な欲求だった。雰囲気は微塵も甘くないのに。酒が、そうさせたのかもしれない。
「ラカム? どうした?」
上と下で視線がぶつかったまま、ラカムは一瞬静思した。そして、オイゲンの頬に手を添えて、髭に付いた粉砂糖をはらう前に、頭を傾けて、引き結ばれた唇に自身の唇を押し付けた。
抵抗はなかった。目を閉じて、密着させた唇を吸った。僅かに開いた隙間から舌が滑り込んできて、舌先がぶつかる。ブドウ酒の香り。蜂蜜のような甘ったるい味もする。
「はッ……こうしたくてこっちに来たのか?」
「まさか。まだ付いてる、けどよ」
会話はそこで途切れた。
両手をソファの背凭れに突いて舌をついばんでいると、オイゲンに腰を抱かれた。そのまま崩れるようにしてソファに上がり、オイゲンの腹に跨った。衝動的な欲求がじわりじわりと、悪い熱となって思考を蝕む。
ぎし、と、オイゲンの真下でスプリングが悲鳴を上げた。唾液が口の端から流れ出た。
「いい子ちゃんにしなくていいのかよ」
「オレはもうガキじゃねえって」
「そうかい。ま、たまには、こんなところでヤるのも、悪くねぇかもな」
ソファとラカムの間で、オイゲンが言った。隻眼の奥で、淫らな欲望の炎が灯って、ゆらゆらと揺れている。
ベルトに手をかけたラカムが「そうだな」と返す前に、またソファが軋んだ。
◇
静かな部屋に、小さな息遣いと、ソファのスプリングが軋めく無機な音だけが響いていた。
尻を剥き出しにしてうつ伏せになって腰を浮かせたオイゲンに被さるようにして交わった。
中途半端に膝に引っかかったパンツにも構わず、行為を続けた。服を脱ぐ余裕もないまま、身体の内側で迸る炎を鎮めるために、互いを貪った。
肘掛けに置いたクッションを抱き抱えるようにして顔を埋めて、オイゲンは突かれるとくぐもった声を上げた。
ラカムの顎の先から汗が滴り、オイゲンの反った背中に落ちた。
荒々しい劣情のままに深く腰を打ち付けながら、ラカムは時々、髪の間から除くオイゲンの項に唇を押し付け、薄い皮膚を吸った。
見えない場所に鬱血の跡を残すのが好きだった。自分だけが知っている証がオイゲンの身体に刻まれると、優越感に似た悦びを味わえた。時間が経って薄くなれば、また付ける。
「ん、う……」
酒の回った身体には、些細な刺激すら、オイゲンには響くようだった。
「あ、あぁ、ラカムゥ……ん、出ちまう……」
オイゲンが頭を擡げて唸った。円を描くように小刻みに動くと、窄まった孔の奥で、肉壁がラカムをきつく締め上げた。結合部から肉が重なる音が激しく弾む。
ラカムは目を閉じて震える唇を噛み締めた。何度味わっても、この感覚には身も心も蕩けそうになる。
オイゲンの両肩を掴み取って後ろから揺さぶると、オイゲンがが吼えた。重なった皮膚の下で、しなやかな肉体が強張る。
「ラカ、アッ、ん、もう――ぐ……!」
弱々しい声が途絶えた。
オイゲンの股座に手を差し込んで動きに合わせて揺れるペニスを覆うと、濡れていた。手を引っ込めると、べたついた指の間で粘液が糸を引いた。
規則的な律動の中で、ラカムも絶頂を迎えた。
汗ばんだ身体が離れると、オイゲンの体内で放った精液は間もなくして、孔から逆流して流れ出してきた。
日付が変わる頃には、互いに、腹の底の怒涛は引いていた。
淡々と後始末をして、下ろしていたパンツを上げ、憔悴しきったように並んで座った。
気が付けば、部屋の壁掛け時計の短針は、とっくに日を跨いでいた。
生々しい本能のままにオイゲンと過ごした聖夜は、子供の頃の眩い純粋な思い出とは似ても似つかないが、これはこれで忘れられそうにない。
テーブルの上の宴の後始末をするのは明日でもいいかもしれないなと、ラカムは煙草を燻らせながら思った。
どこか遠くで、聖夜の終わりを告げるベルが鳴っている気がした。
目が覚めて最初に視界に映ったのは、オイゲンの背中だった。オイゲンは寝る時は半裸でベッドに入るので、見慣れた朝の光景だった。
年の割に滑らかな蜜色の肌、なだらかな曲線に浮かんだ隆起した肩、連なった背骨……無駄のないしなやかな身体をぼんやりと眺めていると、昨晩の燃えるような情事を思い出してしまい、徐々に意識が覚醒してきた。
あくびをしてのろのろと起き上がって前髪を掻き上げる。重心が傾いて、男二人分の体重を受け止めるベッドが軋んだ。
「ん、お」
気の抜けた声のあと、オイゲンの頭が動いた。
「悪ぃ、起こしちまったか」
仰向けになったオイゲンの目は眠たげだった。
「腰が痛ぇ」
寝起きのこもった声でオイゲンは唸った。
「んー……まだ朝早ぇだろ、もうひと眠りしようや」
「ああ、そうする」
実際ベッドの温もりはまだ恋しかった。オイゲンの体温もまた恋しかった。
再び背中を向けたオイゲンに覆い被さるように、背中と胸を密着させ、肩口に顔を埋めて鼻から息を吸い込む。嗅ぎ慣れた体臭が落ち着いた。
まどろみと夜の名残の残る部屋は、煮詰まった砂糖のような甘ったるい倦怠感に溢れて、心地好かった。