ヒルビリーとスージー

「スージー? なにしてんの?」
 近くでカラスが鳴いて間もなくして、聞き慣れた声がした。
 顔を上げると、目の前に〈ヒルビリー〉が立っていた。今日の彼は金槌とチェーンソーの代わりに、継ぎ接ぎだらけの麻袋を抱き抱えていた。
「えっと……ちょっと考えごとをしてて」
 儀式で生存者を全員逃してしまい、膝を抱えて泣いていたとは言えなくて、涙声になっていないことを祈りながら咄嗟に誤魔化すと、彼はフゥンと蚊の羽音みたいな声を上げて、首を傾げた。
「みんなのとこに戻らないの? 儀式、終わったんでしょ」
「……う、うん……でもまだ帰りたくないっていうか……帰ったらあたし、きっとエンティティにお仕置きされちゃう……」
 〈ヒルビリー〉の弛んでいた顔の皮膚が引き攣った。どうやら目を見開いたらしい。
「儀式がうまくいかなかったの?」
 唇を引き結んでおずおずと顎を引く。
「ひとりも吊れなかったし、全員に逃げられちゃった。あたしの番、久し振りだったのに」
「……そっかぁ」
 途絶えていた静寂が帰ってきて、また悲しくなってきた。
 〈ヒルビリー〉は下唇の真下に人差し指を添えた。彼は考えごとをする時にこうする癖があると、以前〈ナース〉が教えてくれた。
「俺も最初の頃は失敗してばかりだった。今でも逃げられちゃうことあるよ。おちょくられることもある」
「えっ、ビリーさんも……?」
「うん。でもそういう時は、怒ったエヴァンやカーター先生が次の日に儀式に行って、全員吊るしてくれるんだ。だから大丈夫だよ。明日みんな殺せばいいよ。エンティティも怒ってないよ。怒ってたらすぐ呼び戻されるもん」
 エヴァンがそう言ってたと結んで、彼はもう一度「大丈夫だよ」と諭すように言った。不思議と胸の中に立ち込めていた不安が晴れていく。
「そうだ。焼きとうもろこし食べて元気だしなよ」
 彼は持っていた麻袋に片手を突っ込んだ。仮面の下でぽかんと口を開けて見上げていると、麻袋から出てきたのはとうもろこしではなく、黒く焦げた楕円型の塊だった。
「一緒に食べよ」
 差し出された焦げた塊を受け取る。わずかにあたたかい。先端から縮れた糸くずの束が出ていて、とてもとうもろこしには見えない。半信半疑で手の中でくるくると回してみる。よく見ると、焦げているのは筋の入った厚い葉だった。葉を剥くと、中から粒がみっちり詰まったとうもろこしが現れた。ところどころ少しだけ茶色く焦げて、香ばしいいいにおいがする。
「美味しそう。焼きとうもろこし、あたしはじめて食べる」
「カーター先生がねぇ、電気でバーン! って焼いてくれたんだ。美味しいよ」
 〈ヒルビリー〉はどっかりと隣に腰を下ろすと、麻袋を横に置き、自分の分の焼きとうもろこしの葉を剥いて真ん中に齧り付いた。
 彼に倣ってとうもろこしに齧り付きたい衝動を抑える。
「スージー? 食べないの?」
「食べたいんだけど、マスク外すの恥ずかしくて……あ、あんまり見ないでね」
 〈ヒルビリー〉は頬を膨らませたまま頷いた。
 仮面を外すと、食欲をそそるとうもろこしの香りを一層強く感じた。
 粒がうまく芯から取れなくて少し食べづらかったが、甘くて美味しい。
 気が付けば夢中で食べていた。
 前歯で粒を刮ぐコツを覚えた頃にふと隣を見ると、〈ヒルビリー〉と目が合った。口を半開きにした彼の周りだけ時間が止まっているようだった。
 彼のとうもろこしは一口二口しか齧られていないように見えた。
 ずっと見られていたことに気付いて、顔が火照りはじめる。彼はきっとがっつく姿を見てしらけてしまったのだろう。
「あ……あたし、その……ごめ——」
「スージーって、可愛いね」
「……!? かわ……えっ、あたしが!?」
「うん。美味しそうに食べてるスージー、可愛い」
 顔から火が出そうだった。とうもろこしを膝に置いて、たまらず顔を覆う。
「スージー? ごめん、怒った?」
「違うの。可愛いなんて……ジュリー以外から言われたことないから、恥ずかしくてっ……!」
 指の間から〈ヒルビリー〉を見る。彼は控えめに笑った。
「焼きとうもろこしもっと食べなよ。いっぱい食べるスージーのこと見たい」
 〈ヒルビリー〉の無邪気さに、ますます恥ずかしくなってきた。胸の奥で心臓がばくばくと凄まじい速さで鼓動を刻んでいる。

「あそこにいねぇ? おーい、スージー」

 遠くからフランクの声がした。
〈ヒルビリー〉と揃って正面に顔を戻すと、霧の向こうで大柄な影と小柄な影が並んでいるのが見えた。現れたのはフランクと〈トラッパー〉だった。
「全然戻んねぇから心配したんだぜ、主にトラッパーのおっさんが」
「お前も気にしてただろ」
「おっさん、ビリーのことも捜してたぞ」
 フランクは拳の横から突き出した親指で〈トラッパー〉を指した。
「俺カーター先生のとこに行ってたんだ。とうもろこし焼いてもらおうと思って」
「てかめっちゃうまそうだな、俺にもくんない?」
「いいよ」
 急に賑々しくなった。どこかでカラスが甲高い声で鳴いた。
「スージー」
「は、はい!」
 〈トラッパー〉に名前を呼ばれて身体が固まった。肩を強張らせて〈トラッパー〉を見上げる。彼はとても背が高い。
「儀式のことは気にするな。明日俺がお前の分まで吊るしてくる」
 肩から力が抜けた。目に涙が湧いて、下唇を浅く噛む。
「帰るぞ」
 こちらを見詰める〈トラッパー〉の表情は白い仮面で見えない。それでも、声は穏やかだった。
「……はい……!」 
 立ち上がって、尻をはたいて、食べかけのとうもろこしを抱いて〈ヒルビリー〉と並んで歩き出す。
 前を歩く〈トラッパー〉とフランクの背中が、いつも以上に頼もしく見えた。