スージーとアンノウン

 

 スージーは、仮面の視孔から見える暗い地面をじっと見詰めては一歩進み、足元を見回し、また一歩進んだ。彼女はそれをもう30分近く繰り返していたが、落としてしまったネイルチップは見つからなかった。
「せっかくジュリーがくれたものなのに」
 鼻の奥がつんと痛くなり、目の前がじわじわと水っぽく歪むが、スージーは歯を食いしばって堪えた。左手の親指のネイルチップがなくなっていることに気が付いた時、考えるよりも先に身体が動いていた。来た道を辿れば見つかると思っていたが、現実はいつだって思うようにいかない。散り敷かれた枯葉と、湿った土がどこまでも続く夜の森の中からたった一枚のネイルチップを探すのは、無謀だったようだ。
 もう少し探してみて、それでも見つからなかったら、ジュリーに謝りに行くつもりだった。
 俯いていると堪えていた涙が溢れたが、スージーは仮面を外さなかった。弱音はなしだ。鼻を啜って震える唇から溜息を溢す。
 不意に、冷たい風が吹いて、スージーのスカートの裾が揺れた。カラスが鳴いて、誰かが霧の向こうから枯葉を踏み締める音が近付いてきた。
「これはあなたのものではないですか? あなたの……」
 男とも女ともいえない、しかし、耳から滑らかに脳に流れ込んでくるような不思議な声がすぐ傍でして、スージーは身体を強張らせた。弾かれたように横を見ると、得体の知れない、否、最近霧の森に現れるようになった生き物が――それはデモゴルゴンやネメシス、ドレッジとも違う異形だ――アンノウンが立っていた。
「あ……あ……」
 スージーはアンノウンから視線を外すことができないでいた。エンティティが他の異形と同様に〝彼〟にも生存者以外は殺さないよう教え込んでいる筈だが、殺されるのではないかという恐怖を覚えた。彼女は、歪んだ笑みを貼り付けた〝彼〟が、ただただ怖かった。人のような形をしている、人ならざる邪悪な存在――できるなら、距離を置いておきたかった。
 アンノウンは、硬直しているスージーに対して言葉を発することはなかったが、代わりにぐにゃぐにゃとした長い身体を曲げて四つん這いになった。それから、影のように素早く、立ち込める霧の向こうへ走り去っていった。
 静寂が戻ってきて、胸の内側で弾む心臓の鼓動が落ち着いて、ようやく、スージーはその場にしゃがみ込んだ。〝彼〟だって仲間なのだから、慣れなくてはいけないが、受け容れるには時間が掛かりそうだった。
「…………? あれ?」
 スージーは、枯葉に埋もれたピンク色の小さな塊を見つけた。探していた大切なネイルチップだった。
「あ! あった!」
 ネイルチップを拾い上げて、スージーは安堵と嬉しさから声を上げて笑った。そして、飛び跳ねたい気持ちを抑え、アンノウンにお礼を言わなくてはいけないことに気付いた。〝彼〟と意思の疎通が取れるのかはわからない。ただそれでも、溢れる感謝の気持ちを伝えたかった……

 その日の儀式には、アンノウンが選ばれた。
 〝彼〟が「さっきはありがとう。あなたが見つけてくれたものは、大切なものなの」と繰り返し、血塗れの斧を振り下ろしていたのを知る者は、誰もいない。