アレキサンダー×褪せ人♀

「貴公には世話を掛けるな」
 アレキサンダーは、らしくない小さな声で言った。
 彼に会うのは「ラダーン祭り」以来だ。ずいぶんと久し振りだが、偶然の再会は、素直に喜べるものではなかった。なぜなら、彼はまた穴に嵌ってしまっているのだ。
 以前も、リムグレイブの北東の地で同じ状況に出くわしたことがある。世界は広いのやら、狭いのやら。自分が見付けなければ、彼はひねもす、夜すがら、無人の荒野で助けを求めていたに違いない。
「いいぞ、思い切りやってくれ」
「いくよ?」
 手にした剣の刃を横に寝かせ、彼の言う通り思い切り振りかぶって、穴の縁から覗く丸みを帯びた尻を切りつけた。
「おうっ!」とアレキサンダーが叫んだ。心を鬼にしてまた剣を振り上げる。硬い彼の身体に刃があたり、アレキサンダーの巨躯は穴から弾き出された。
「ああ、助かったぞ」
 手を突いて起き上がったアレキサンダーは安堵の溜息を漏らしてのろのろと腕を組んだ。
 剣を担いでそばに寄ると、彼は困ったように、けれど豪快に笑った。
「ワッハッハ、俺としたことが、うっかりしていたよ」
「たまたま私が見付けたからよかったけど……今度は気を付けてね。ところで、どこに行くつもりだったの?」
「それは――」彼は言葉を淀ませ、咳ばらいをして「遠くから見たい場所があってな」と囁き声で結んだ。
 強さを求めて武者修行を積む彼が見たい場所を想像してみたが、むさくるしい男たちのいる闘技場だとか、腕の立つ男たちが好んで集う酒場だとか、そんな場所しか浮かばなかった。
「笑わずに聞いてほしいのだが、俺も望郷の念に駆られることがあるのだ」
「故郷か……」兜の下で、ふっと頬が緩んだ。私にだって故郷はある。それはこの狭間の地ではないけれど。「笑ったりしないよ。故郷は誰にでもある。大切なものでしょう」
 一拍置いて、アレキサンダーは組んでいた腕をほどいた。
「貴公……もし、貴公さえよければ――ああ、いや、こんなことは言うべきではないな」
「なに? 気になるじゃない」
 首を傾げると、アレキサンダーはううんと唸った。
「いつか貴公を俺の故郷に連れていきたいと思ってしまった」だが、と彼は続けた。「戦士たるもの、故郷の思い出は胸にしまっておくべきだ。故郷は偲ぶものだからな。それに……貴公を故郷に連れて行くというのは、契りを交わした夫婦のようになってしまう」
「えっ」
 かあっと顔が熱くなる。
「そ、それは、うん、そうだね」
 しどろもどろに喉に詰まった言葉を吐き出し、俯く。胸の奥が締め付けられるように切なく疼く。
「でも、私は、アレキサンダーなら、別に……いい……」
 顔から火が出そうだった。
「貴公、今、なんと」
「……っ、なんでもない!」
 誤魔化すようにアレキサンダーの言葉を遮り、やはり、誤魔化すように指笛を吹いてトレントを呼び出す。
「私はもう行くからっ」
「む、待て、俺はまだ礼をしていないぞ」
「またどこかで会おうっ!」
 トレントの手綱を引き、横腹を蹴って、逃げるように、風のようにアレキサンダーの元を去った。
 幾日かして、リエーニエの東部でまた穴に嵌ったアレキサンダーに遭遇するのは、また別の話だ。