アドリアナは、あまり訪れたことのない『カラスの巣』にいた。彼女はこの場所で何度か儀式をしたことがあったが、生存者を皆殺しにできたことはなかった。生存者を逃がしたことでエンティティの機嫌を損ねたことはないが、アドリアナは不愉快だった。儀式の主導権を握るのは常にアドリアナなのだ。生存者共ではない。
地形を覚える必要がある――そう思って、ドローンを持ってこの場所をおとなった。
刻まれた名前も読めない朽ちた墓石。巨大な塔。枯れた噴水。錆び付いた鉄柵……そのすべてが忘れ去られ、砂に覆われている。まるで砂漠にいるようだとアドリアナは思う。
ドローンを放ち、中央に位置する塔へ足を踏み入れると、はるか頭上にある大きなカラスの巣の周辺を、黒い塊が蠢いていた。数えきれないほどのカラスの群れが、愛すべき住処を旋回していた。おぞましく歪な光景だったが、驚きはしなかった。
耳障りな鳴き声を背景に、アドリアナは宙に浮く本や、樹の幹が絡みついた本棚を見上げた。
不意に人の気配を感じて、アドリアナはゆっくりと顔を巡らせた。
華奢な女が、アドリアナに背を向けて、背凭れのない椅子に座り、キャンバスと向かい合っていた、女の右腕は、肘から先が枯れ枝のように細く鋭く尖っている。アドリアナは吐息をついたが、警戒はしなかった。
「カルミナ」
アドリアナはカラスの鳴き声を遮って彼女を呼んだ。
一拍置いて、カルミナが振り返る。アドリアナを見るや否や、カルミナはひきつれた声で小さく笑った。
「絵を描いていたのね」
アドリアナが鷹揚と傍に寄ると、カルミナは頷き、筆談用のペンとメモを取り出して「最近描いていなかったから」と綴った。「でも、なにを描こうか悩んでいるの。なにかリクエストをちょうだい」
「そう。なら、私のために描いてくれない? 報酬は支払う。ちょうど、私の基地の二階に飾る絵が欲しかったのよ。優雅で、インパクトのある絵がいい。どう?」
アドリアナの提案に、画家は嬉しそうに喉を鳴らし、素早くメモに「まかせて」と書いた。
「契約成立ね」
アドリアナは仮面の下で微笑んだ。
貞子が儀式で生存者を全員呪い殺した晩に、カルミナは『シェルター・ウッズ』へやってきた。
彼女の細い腕に抱きかかえられたキャンバスは、血の染みた布でくるまれていた。小さな子供の背丈ほどあるキャンバスは三脚に載せられ、アドリアナの前に置かれた。
アドリアナは、期待を込めて血腥い布を剥いだ。現れたのは、黒い絵の具一色で描かれたアドリアナだった。美しい濃淡と完璧な陰影で描かれたアドリアナは、武器である鉤爪を胸の前で掲げ、鋭く涼やかな眼差しを見る者に向けている。
アドリアナは絵を凝視したままなにも言わない。カルミナは不安そうに眉を寄せた。
しばらくして「この絵は言い値で買う」絵に視線を固定したまま、アドリアナは言った。「あなたは素晴らしい画家ね。座って。コーヒーを淹れるから。ああ、この絵はどこに飾ろうかしら」
アドリアナはそわそわしながら室内を見回した。カルミナは促されるままに椅子に腰掛け、誇らしげな表情を浮かべた。
その夜、アドリアナの基地から、燈が消えることはなかった。