ふたり占めの宇宙

「明日、わたしとデートしてください」
 立香は頬を紅潮させ、熱っぽくテスカトリポカを見詰めて言った。
「いいだろう。明日はお互い休日(オフ)だしな。オマエが行きたい場所に行くとしよう」
「やった……! 楽しみにしてますっ」
 琥珀色の眸に散った薄い金色の光がきらきらと輝いた。朗らかな微笑みは、恋する乙女に似つかわしいものだった。

 翌日、昼食をとったあと、テスカトリポカは立香と共にシミュレーター室から彼女が行きたい場所に向かった。彼女が指定したのは、夜の遊園地だった。遊びたい盛りの若い娘らしい選択だ。
「さあ、存分に遊ぼうか、お嬢さん」
 立香の手を引いてゲートを潜った。夜の遊園地には、テスカトリポカと立香以外には誰もいないようだった。風船を配る着ぐるみもいない。菓子や軽食を売るキッチンカーもない。鮮やかなネオンライトが夜をぎらぎらと照らし、子供心をくすぐる愉快な音楽があちらこちらで流れている。
「久し振りのデートが楽しみ過ぎて、貸し切りにしました!」
 立香が大きな声で言い、両手を高々と上げて頭の横で広げた。
「そうこなくっちゃな。で? なにに乗る? ジェットコースターか?」
「んー……」立香は辺りを見回した。「あ、アレに乗りたいです」
 彼女が指差したのは、コーヒーカップの形をした乗り物だった。
「ああ? ずいぶん――」子供っぽいなという言葉を飲み込んで、テスカトリポカは笑った。せっかくのデートなのだから、野暮なことは言うものではない。「いいぜ」
 防護柵の中で、円形の台に並んだ特大のコーヒーカップに乗り込む。ドアを閉めると、ブーっと電子音が鳴って、一拍置いてロマンチックな曲が流れはじめ、コーヒーカップが勝手に回転しはじめた。
「こうすると速く回るんですよ」立香は中央の小振りな円盤型のハンドルを掴むと、捻るようにして何度も回転させた。「速い方が楽しいですよね!」
 彼女の言う通り、ハンドルを回せば回すほど、コーヒーカップの回転速度はどんどん上がっていき、背景が目まぐるしく流れていった。テスカトリポカも立香を真似てハンドルを回したが、これ以上スピードは上がらなかった。
「ははっ、目が回りそうだ」
 長い金髪を靡かせながら、コーヒーカップの縁に腕を載せて、テスカトリポカはすっかり上機嫌になっていた。子供っぽい乗り物だと思っていたが、中々面白い。向かいでハンドルを回し疲れたらしい立香は、大きく息を吐いて背凭れに寄り掛かった。遠心力で身体が傾いていたが、彼女はテスカトリポカと目が合うと、無邪気に笑った。
 やがて速度は緩やかに減速し、音楽が鳴り止み、スピードを失くしたコーヒーカップは止まった。完全に停止すると、全能神の目の前はぐらぐらと揺れたが、すぐにいつもの感覚に戻った。
「悪くなかった」
「張り切りすぎちゃいました」
「休むか?」
「ううん、大丈夫。次に行きましょう!」
 その後、ふたりはジェットコースターに乗った。海賊船を模した大型のブランコに乗った。メリーゴーランドに乗った。ロケットのように空高く打ち上げられる絶叫マシンにも乗り、貸し切りの遊園地を満喫した。
「最後に、観覧車に乗りたいです」
 腕を絡めて甘えるように身を寄せてきた立香は、すぐ傍の観覧車を見上げた。テスカトリポカも彼女に倣って観覧車を見上げた。夜の帳の中で、ゴンドラに燈を灯した巨大な観覧車が遊園地を見下ろしている。頂点には、満月が引っかかっていた。
 ゆっくりと上昇する小ぢんまりとしたゴンドラに乗り込み、向かい合って座った。中は閉塞的な空間だったが、床やドア部分を除いてガラス張りになっているのであまり窮屈さは感じなかった。
地上が遠くなれば遠くなるほど、美しい景色を楽しめる。真下に広がる夜の闇の中で輝くネオンライトは、さながら星の群れのようだった。まるでふたり占めの宇宙だ。
「今日は、ありがとう」
不意に会話が途切れて、立香が小さな声で言った。
「とっても楽しかったです」
「遊園地にきたのははじめてだったが、オレもいい息抜きになった」
「最後にもうひとつだけ、ワガママを言ってもいいですか?」
「ん?」
 テスカトリポカが言葉の続きを促すように首を傾げると、彼女は俯いて膝の上で手を握った。
「そっちに行っても、いいかな……?」
 いじらしいお願いだった。テスカトリポカはなにも言わずに座っていた位置をずらし、顎で隣を差した。立香が隣に移動すると、ゴンドラの中には甘い雰囲気が漂いはじめた。唇を引き結んだ恋人がなにを期待しているのか、彼にはわかっていた。
「立香」
 耳元で名前を囁き、顎に指を添えると、すぐに視線が交わり、立香の上向きの睫毛が伏せられた。頭を傾けて、テスカトリポカは彼女の唇を塞いだ。
 ゴンドラが頂上に達した。慎ましやかに地上を照らしていた月が、密やかに口付けを交わすふたりを覗き込んでいた。