フィリップの記憶を元に構築された『アザロフの休憩所』には、ご丁寧に従業員たちのランチタイム用のピザまで再現されていたが、国道沿いにあるピザ屋から週に何度か配達されていたピザを、従業員であるにも関わらず、フィリップは一度も食べたことはなかった。
白人の従業員だけが口にすることを許されていたピザは、フィリップにとって差別の象徴でもあった。手に馴染む工具や廃車にされる車と同じく、ピザはフィリップにとってはただの景色の一部に過ぎなかった。
それでもピザを食べよう思ったのは、「ピザでパーティしよう」と、『グリーンビル広場』の売店から取ってきたらしいソーダ缶や菓子を抱えたヒルビリーがやってきたからだ。
かつての職場——フィリップの運命を変えてしまった場所——でピザを食べ、ソーダをあおる……そんなこと、ヒルビリーがいなければ思い付かなかった。
パイプとビニールでできたボロボロの椅子を並べ、廃材を組み合わせて簡易テーブルを作ると、あっという間にパーティ会場はできた。箱の中の八等分にカットされたピザは、冷え切っていて、おまけに二切れなかった。ソーダ缶だってぬるい。菓子はしけっている。それでも、ヒルビリーはささやかなパーティを喜んでいた。
未開封の缶のプルタブをぎこちなく開けて、おそるおそる一口飲んだヒルビリーの反応が驚いた時の猫みたいだったので、フィリップは笑ってしまった。
「しゅわしゅわする、口の中、ちょっと痛い」
「炭酸飲料だから、しゅわしゅわするんだよ」
「俺、ピザを食べるのも、ソーダを飲むのもはじめて。テレビでしか見たことない」
硬くなった生地の端を掴み取り、細い先端に齧り付いて、ヒルビリーは言った。
「トマトの味がする」
「このピザは、マルゲリータっていうんだ」
身じろぎして椅子に座り直して、背もたれに背中を預け、長い足を伸ばして、フィリップもヒルビリーに倣ってピザを頬張った。厚めの生地は少し硬いが、味は悪くない。
近くのドラム缶に止まっていたカラスが、ふたりを見て首を傾け、短く鳴いた。
「カラスもピザ食べたいのかな」
指についたトマトソースを舌で舐め取りながら、ヒルビリーが言う。
「餌付けしたらダメだよ。他のカラスたちも寄ってきて、俺たちが食べる分がなくなっちゃう」
「最初からなかったピザを食べたのはカラスかな?」
「そうかもね」
ピザを食べ、ソーダを飲んで、菓子を摘んで、笑い合った。偽物の空を見て瞬くことのない星を数え、色々な話をした。焼きたてのマルゲリータも食べてみたいだとか、今日の儀式は手鏡を持ったマイケルの番だったとか、カレブがアドリアナからもらったドローンを分解して楽しそうだったとか、最近ケネスの指コレクションが増えただとか、チャッキーの口の悪さは世界一だとか……話題は尽きることはなかった。やがて眠くなって揃ってあくびをした。
「ねえレイス、このまま寝ちゃう?」
「そうしようか。俺も眠いし」
フィリップはもう一度あくびをした。惰性のままにピザを食べて、届かない星に手を伸ばして、眠りこける……いい夜だ。
「レイス」
「ん?」
名前を呼ばれ、フィリップはヒルビリーの方を見た。目が合うと、彼はゆっくりと起き上がり、油のシミのできた空っぽのピザの箱を見た。
「今日は楽しかった。またパーティしたい」
「俺も楽しかったよ。次はエンティティに焼きたてのピザと、キンキンに冷えたソーダも頼もうか」
「うん。あ、なら、今度はたくさん頼んで、みんなでパーティしよう。きっとマルゲリータやソーダを知らない仲間もいるよ」
顔を巡らせたヒルビリーの、引き攣れた顔の皮のシワが深くなる。彼は笑っていた。本当に嬉しそうに。
「そうだね。みんなでパーティしよう」
「パーティって、ワクワクするね」
フィリップもつられて笑った。灰色の景色の一部でしかなく、苦い思い出そのものだったピザとソーダが、こんなにも鮮やかな色彩を放ち輝くとは思わなかった。
「ビリー」
「ん?」
「ありがとう」
「…………?」
ヒルビリーは不思議そうに首を傾げたが、フィリップは肩を竦めて照れ臭さを誤魔化した。
明けることのない夜の真ん中で、ピースの欠けたピザに似た月がふたりを照らし出していた。