今夜は、いつもみたいに仲間たちと酒を飲んでバカ騒ぎをする気分ではなかった。儀式で生存者を全員逃がしてしまったからだ。
餓えたエンティティからの仕置きはなかったが、それがフランクをますます惨めにさせた。「お前には期待していない」といわれているのと同じだ。里親の元で散々味わった屈辱と諦観を思い出し、今夜だけは、フランクは孤独な夜を選んだ。
霧の切れ間から焚火が見えて、早足になった。生存者たちの焚火と同じく、殺人鬼側の焚火も、この霧の森から出られないのと同じく消えることはない。
やがて、焚火の前に着いた。そこには先客がいた。カレブだ。丸太に腰掛ける見慣れた男の背中を見据え、フランクは仮面の下でほうっと息を漏らした。「静かなのは独房だけで充分だ」といっていた彼がひとりでここにいるなんて、珍しいこともあるものだと思った。
霧に満たされた静寂に、カレブの囁き声が混じる。よく聞き取れないが、彼はなにやら独り言を言っている。
「ジイさん」フランクはそっとカレブに歩み寄り「なにブツブツ言ってんだ? ボケちまったのか」隣に腰を下ろした。
カレブは喉の奥で低く笑った。「ボケる歳じゃねえよ」
フランクもつられてくすくすと笑った。「じゃあなんで独り言を?」
「名前だ」
カレブは補助器具の着いた左足を庇うようにして身じろぎした。
「……名前?」
「眠れない夜は、復讐したい奴らの名前を声に出して繰り返すんだ。どう殺してやろうか考えながらな」
ふたりの目の前で揺れる火の中で、薪が弾けた。
「お前にはいないのか、報復したい憎い相手は」
「俺?」
フランクは、火に照らされたカレブの顔を見詰めたまま背筋を伸ばした。
「俺は……」
言葉の続きを待っているカレブの表情には、いつもの愛想はない。
過去を振り返ると、十九年という人生の断片が胸を突き刺した。大好きだったバスケ、潰えた未来、鼻つまみ者扱いしてくる大人たち、理解してくれない里親、酒浸りの養父、そして、はじめて人を殺した運命の夜……衝動的な怒りはいつだって破滅を招いた。しかし、カレブが抱いている、身体の深い深い場所を焼き尽くすほどの憎悪というものを、フランクはまだ知らない。
仮面の下で、フランクは乾いた唇を舐めた。「いないよ」
「そうか……ああ、そうだよな」
曖昧に頷くカレブの帽子のつばの下で、双眸がゆっくりと瞬く。表情からは、険しさが消えていた。
「それでいいんだ、ひよっこ」
次の儀式に選ばれたのはカレブだった。
彼は全員の身体をスピアガンの銛で抉って殺したらしく、エンティティの機嫌はよかった。
儀式から戻ったカレブは、いつもなら真っ直ぐに『死んだ犬の酒場』に行ってエヴァンたちと陽気に酒を飲むのに、その夜は、「火にあたりたい」といって、焚火の方へ行ったという。
なんとなく気になって、フランクは焚火へ足を向けた。あの夜と同じく、カレブは丸太に腰掛けていた。痩せぎすの背中は、微動だにしない。
「ジイさん?」
フランクは歩を進めた。踏み締めた枝がぱきっと音を立てて、カレブが肩越しに振り返った。
「……っ」
弾かれたように足を止めたフランクの全身は、瞬く間に硬直した。自分が生きた時代よりも遥か昔に、血腥い過酷な人生を歩んできた老年の男の目に、憤怒と憎悪が渦巻いているのをフランクは見た。
目の前にいるのは、復讐に燃える人殺し——デススリンガーだ。
遠くで、聞いたことのある声がした。それがカラスの鳴き声なのか、はたまた上機嫌なエンティティの笑い声なのか、フランクにはわからなかった。