Dame tus besos

 騎士は跪いて令呪の刻まれた立香の手の甲にキスを落とし、紳士は立香の手を取ると優雅に素早く令呪に口付け、淑女は立香と頬を重ねて挨拶をした。
 どのサーヴァントたちも、眸にはマスターである立香への敬意と親しみがあった。中には、男が女にする愛情表現のようなキス——もちろん頬にだ——もあったが、立香は照れることなく受け止めていた。「慣れているんだな」
 通路に響く靴音がふたり分になってしばらくして、テスカトリポカは隣を歩く立香に視軸を向けた。
「なにがですか?」
 長い睫毛に囲われた眸を瞬かせて、彼女はテスカトリポカを見上げる。
「キスだ。騎士の忠誠の口付けも、紳士の敬愛の口付けも、淑女の戯れの口付けもそうだ。オマエはずいぶんとそういったスキンシップに慣れている。日本人はそういうものは不慣れだと思っていた」
「たしかに日本人にとっては馴染みがないですけど、ああいうのって一種の社交辞令や挨拶ですよね。わたしも相手によってはしますよ。すっかり慣れちゃったのもありますけど」
「へえ」テスカトリポカは前方に視線を戻した。立香の部屋の入口が見えていた。「オレはまだハグすらされたことはないがね。一応現代じゃあ頬にキスはする国なんだが」
「じゃあ、あなたにもしましょうか、親愛の証に。ほっぺにちゅー」 
 立香は自室のドアのロックを外しながらいたずらっぽく笑って続けた。
「あなたには特別な想いがあるから、挨拶以上の意味がありますけどね」
「なら、情熱的にたのむぜ、お嬢さん」
 室内に足を踏み入れたテスカトリポカのうしろでドアが閉まる。部屋の真ん中で立香が振り返り、傍に寄ってきた。ほんの少し頬を赤くさせている彼女の身長に合わせて身体を屈めると、右頬に唇が寄り、触れるか触れないかのところでリップを立てて離れた。
口付けベソには、愛情がこもっていた。
「いつもキスしてるのに、こうすると、変な感じ」
「オレもお返しといこう」
 テスカトリポカは口の端を片方持ち上げると立香の顎を掴んだ。
「え、でも」
 小さく漏れていた彼女の声は最後まで続くことはなかった。彼は立香の口唇を塞ぎ、柔らかな下唇を食んでいた。長い舌を口腔に滑り込ませ、狭く温かな口腔に唾液を流し込み、舌先で歯列の裏側を舐め上げ、上顎をくすぐる……息を継ぐ間も与えないほどの熱烈な男と女のキスをするのは、一昨日の夜にベッドの上でした以来だ。
「ん、んぅ」
 脳髄を連れさせるような甘い交わりに、立香は体から力が抜けてしまいそうになったが、テスカトリポカの片手が細い腰を抱き留めた。
「……っ、ふ、うっ……!」
 意識をとろけさせるほどの長いキスのあと、ふたりの間で吐息が弾けた。立香は顔が真っ赤になっていた。
「な、なんでこんなえっちなえっちなキスをするんですかっ……」
「オマエさんの神からの特別な想いを込めたキスだ。ありがたく受け取っておけ」
「特別な想いって、どういう意味ですか?」
「さあな。なに、甘やかしだと思えばいい」
 気紛れな神は今度は曖昧に笑い、立香の横を通り過ぎて、ベッドにどっかりと腰を下ろした。
 未熟な戦士への期待、生き生きとした生命への賛美、傷だらけの魂への慰撫、そして、男としての一握の親愛——そんな想いを特別と呼ばずしてなんというのか。
——ああ、思ったよりも絆されちまってるな。
 隣に座った立香を見詰めながら、テスカトリポカは微苦笑した。それからシーツの上の彼女の右手に自身の手を被せ、赤い令呪を親指の腹で撫でた。