その日、すべてを終わらせようと、ジョセフ・シードが眠るベッドへ足を運んだ。
背中を向けて横たわり、穏やかな寝息を立ててなだらかな肩を規則的に上下させる彼を睥睨し、こいつさえ居なければと奥歯を強く噛み締める。垂れ下がった手を強く握り、震える拳を振り上げたい衝動を抑え込み、足音を消して距離を詰める。
あと少し。あと少しで終わる。
仇恨に背中を押されていたが、ふと、頭の片隅に残っていた理性が警鐘を鳴らした。
こいつを殺したとして、その次はどうする?
一人取り残されて、結局どうなる?
足を止め、ジョセフを見下ろしたまま逡巡した。頭の中で湧いた疑問は数珠つなぎとなって、答えを導きだせないまま複雑に絡み合い、やがては決意を削いだ。虚しくなって溜息を吐く。
彼の首を両手で抑え込み、全体重をかければすぐに済むことなのに、それすらできないだなんて。
気配に気付いたのか、ジョセフが首を巡らせた。数瞬目が合った。彼は片手を突いて起き上がり、ベッドの淵に座り、不思議そうに目を瞬かせ、こちらを見詰めて頭をわずかに傾けた。彼の眸は、胸の真ん中で疼いていた迷いを見透かすようだった。
「アンタを殺そうとして、やめたところだ」
「心に毒蛇を飼ったか」
ジョセフの深みのある声は胸の内側をかき乱した。オレの心はいつから毒蛇の巣になってしまったのだろう。保安官としての正義感と高潔さは、とっくに丸のみにされてしまったのかもしれない。
「それにしても、不安そうな表情をしている。こちらに来るといい」
ジョセフはゆっくりと、しなやかな両腕を伸ばした。抱擁するために広げられた腕に怯んで、二、三歩退く。
「……アンタさえいなければ、こんなことにはならなかったんだ」
立ち尽くしたまま胸の中で渦巻いていたどす黒い感情の欠片を吐き出すと、眼球の裏にこびりついた光景がよみがえった。車の中で息絶えた上司や同僚、床に無造作に転がった老兵の姿――目に涙が湧いた。
「私は」ジョセフは鷹揚と立ち上がった。「君に最初にチャンスを与えた筈だ」
「それは」
口ごもって視線を逸らす。あの日、あの時、あの晩、彼の身柄を拘束するために教会を訪った夜のことを思い出す。あの場を立ち去る選択をしていたら、結果は変わっていただろうか? どちらにせよ、悔恨するには遅すぎる。
「君はチャンスを無下にした」
「違う、オレは為すべきことを為そうとしただけだ」
気が付けば、ジョセフとは手が届く距離になっていた。
「来ないでくれ」
後ずさりすると、背中が壁にあたった。ジョセフは歩みを止めない。逃げ場はなかった。
「来るな」
紡いだ声は掠れていた。ジョセフが一歩踏み出すごとに徐々に呼吸が乱れる。息がうまくできない。過呼吸だ。パニックになった。シャツの胸元を鷲掴みにして喘ぐ。
「……シーッ」
ジョセフは唇を尖らせ、なだめるように言って、オレの頬を両手で挟み込み、額を重ねてきた。
「落ち着くんだ」
ジョセフの吐息が鼻先に届き、薄く開いたままの唇を塞がれた。時間が止まった。行き場を失った酸素が肺に逆流する。
「…………ッ」
ジョセフを突き飛ばそうにも、身体に力が入らなかった。開いていた目を閉じ、甘くもない口付けに意識を集中させる。早鐘を打つ鼓動が鼓膜を揺さぶる。
呼吸が落ち着いてくると、ジョセフはおもむろに顔を離した。
「落ち着いたか?」
「なにを、なにをするんだ。同性にキスするなんて、アンタはやっぱりイカれてる」
「子が苦しんでいたら、助けるのが父だ」
ジョセフは悪びれることなくそう言った。その眸の奥には散々見せ付けられてきた慈悲が、静かな火を灯していた。
「最低の気分だ、離してくれ、もういい。どいてくれ」
手の甲で荒っぽく口元を拭って、ジョセフの腕を振りほどいて突き飛ばし、振り返ることなくその場から逃げ出した。
情けなくて、また涙が出た。