明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め。
——ホラティウス
肺が破れたのではないかと思うくらい激しく咳き込んだ。喉の奥で吸い込んだ空気がひゅうひゅう鳴って、生理的に涙ぐむほど苦しかった。胸を抑え、落ち着くまで深く息を吸っては吐いてを繰り返す。咳き込むとこめかみのあたりがじくじくと疼いた。やがて呼吸が楽になって、咳は溜息に変わった。
「大丈夫か?」
顔を上げると、テーブルを挟んだ向かいでヒューズが心配そうな表情をしていた。そのうしろで他の客が訝しむようにこちらを見ていた。咳込んだだけだというのに、店内の客の視線を一身に集めてしまったことが腹立たしい。
「呼吸困難で死んだかと思ったぜ」
「……失礼。平気だ」
小さく何度か頷いてから、何事もなかったようにウィスキーをあおる。渇いた喉にアルコールが沁みた。
「私は、」
死期が近いのかもしれない……そういいかけて言葉を飲み込む。代わりに「死は万人に平等に訪れる。しかし、私が死ぬのは今日ではない」と続けた。「私が死ぬのは明日かもしれないが、明日のことなど誰にもわからない」
「たしかに、明日のことなんてわからねぇよな」
手元のグラスの中で氷が崩れて、からりと冷たい音がふたりの間で弾けた。
「明日のことなんてわからねぇ。だったら俺は今この瞬間を生きるのさ。食って、飲んで、このあとお前とヤって、寝る。最高だろ?」「刹那的な生き方だな。だがお前らしい」
「お、笑った顔が可愛いな。ハハハ」
ウィスキーで満たされたグラスを口元に引き寄せ、ヒューズは白い歯を見せて笑った。グラスが傾いて、突出した喉仏が大きく上下する。中身は少しずつ減っていった。
「愛してるぜミーシャ。お前のことは……そうだな、死んだとしても愛してる」
ヒューズは柔らかく目尻を細めた。冗談なのか、はたまた本気なのかわからない。
「……声が大きい。抑えてくれ」
顔を逸らして咳払いをひとつすると、ヒューズは「照れんなよ」声をひそめた。
「俺はこの瞬間が幸せなんだ。お前がいるからな」
彼は満足にそう言って、親愛のこもった視線を私に向けた。