サイレントヒルで娘を捜す謎の男と宇宙人に誘拐されてから、どれくらいの月日が流れただろう。今置かれている状況としては、攫われたUFOではなく、某州の郊外にあるごく普通のアパートで、謎の男と、彼が捜していた娘と生活を送っている。
拘束されているわけでもなく、奴隷のように扱われているわけでもなく、自由に過ごせている。一個人としての居場所がここにはある。なんら不自由なく暮らせているのだ。
最初は脱出を試みたこともあるが、宇宙人に何度か気絶させられてから、諦めた。今になっては今更ここを出ようとは思わなかったし、この妙な生活もふたつきもすればすっかり慣れてしまった。
謎の男の名前は、ハリー・メイソンという。今ではすっかり、彼との関係は良好だ。その娘との関係も問題ない。ひとつ問題があるとすれば、彼女から「ジェイムスって、ママみたい」と言われることくらいだろうか。
ああ、話を戻そう。ハリーは、ライターとだけあって博識な人だ。実直で、バイタリティーに富んでいる。頭がキレるし、トークもうまい。その賜物か、宇宙人との交流に成功し、現在はリーダー格のような位置にいるらしく、たまに宇宙人がティータイムを過ごしに部屋に訪れるくらいだ。
とにかく、不思議な男なのだ、彼は。
角部屋を書斎兼寝室としている彼は、昼夜問わず、執筆に勤しんでいる。
徹夜をすることもある。そういう時は、コーヒーを淹れて持っていってやる。そうすると、彼は少し眠たげな顔で、ありがとうと笑う。
あの控えめな笑顔が見たいと思うようになったのは、いつからだろう?
「ジェイムス、酒は飲めるか?」
壁掛け時計の針が午後九時を過ぎた頃、ハリーがウィスキーのボトルを引っ提げキッチンに現れた。遅めの夕食を済ませ、後片付けをしている時のことだった。
「飲める」短い相槌を返し、最後の皿を食器棚にしまう。
「それはよかった。少し、付き合ってくれないか。ひとりで飲むのは味気ない」
「珍しいな、あなたが酒を飲むなんて」
「贈呈品さ」ハリーはまじまじとボトルを見た。「年代物だ」
グラスをふたつ食器棚から取り出し、片方彼に渡す。
テーブルに向かい合って座ってすぐに、グラスは琥珀色のウィスキーに満たされた。
「乾杯」
グラスの淵が引き合って、小さな硬い音が跳ねた。
酒を飲むのは、ずいぶんと久し振りだった。現実から逃げたくて、浴びるように飲んでいた日々を思い出す。
「うん、うまいな」ハリーは満足そうに言った。たしかに、いい味だ。
半分ほど飲むと、渇いていた喉が潤った。うまい。
「その様子だと、気に入ってくれたようだな」ハリーがグラスを口元に手繰り寄せながら笑った。
あっという間に空いたグラスに二杯目のウィスキーが注がれた。
「最近忙しくて、家事を手伝ってやれなくてすまない」
「これはその詫び?」
「いや」ハリーは困ったように、眉を垂らした。「君とゆっくり話したかっただけだ。ほら、サイレントヒルのこととか」
「…………」
「ジェイムスは、何故サイレントヒルに?」
「妻を捜しに」
「私と似たようなものか」
「あなたの娘は見つかった。私の妻は、いない。彼女は死んだ」
「……失礼なことを訊いてしまったようだな」
「気にしないでくれ」
「私は妻を病気でうしなっている。君の気持ちは、わからなくもない」
「私の妻は……」言葉を切って、グラスの中を見下ろし、目を閉じる。
「話したくないならいいんだ」
「ハリー……」
顔を上げる。ハリーと目が合ったが、彼はどこか遠くを見ているようだった。
夜も更け、酒も回り、頭がぼんやりしていた。鼓動が早い。
「ジェイムス? 大丈夫か?」
それまで娘のことを語っていたハリーが、心配そうに訊いてきた。
大丈夫だと答えたかったが、頷くことしかできなかった。
「もう、休んだらどうだ?」
「今歩いたら食器棚に頭から突っ込む」
「それは大変だ。ウィスキーもなくなったことだし、今夜はお開きにしよう。色々話せて、楽しかったよ。君は聞き上手だな」
椅子を引いて立ち上がったハリーを視線で追う。
「ハリー?」
「部屋まで肩をかしてやる。立てるか?」
「ああ、すまない」
腰を上げると、景色が歪んだ。ひどく酔っぱらってしまったが、幸いなのは、吐き気がないことだった。
自室は、ハリーの部屋の隣だった。大した距離でもないのに、そこまでが遠く感じる。
ハリーに右肩を担いでもらい、腰を支えてもらいながら、暗い廊下を進んだ。
部屋に辿り着いて、千鳥足でベッドに倒れ込む。ハリーがサイドテーブルのランプをつけてくれた。部屋がほのかに明るくなる。
「明日はゆっくり休んでくれ。きっと二日酔いだろうから」
ベッドの端に腰掛け、ハリーは囁くように言った。突っ伏していたシーツから顔を上げ、ハリーを見上げるが、ランプの燈で逆光になってしまって顔は見えない。
「おやすみ、ジェイムス」
「ハリー……」彼のジャケットの裾を握る。「行かないで、くれ」
「ジェイムス?」
腰を上げかけたハリーの、疑問符混じりの驚いた声。
「行かないでくれ」掠れた声で懇願する。「お願いだ」目の前が水っぽく歪む。悲しくもないのに何故、涙が湧くのだろう。
ハリーの体重を受けて、マットレスが揺れた。
「ジェイムス」穏やかな声音だった。髪を撫でられ、幼い子供を宥めるように肩を小さく叩かれる。「どうしたんだ」
「わからない。きっと、あなたが、優しいから」
鼻をすすって起き上がる。いい年をした男が泣くなんて、なんて惨めで、情けないのだろう。
ハリーと同じ目線になって、見詰めあった。
「おいで」
彼の胸に崩れて、声を押し殺して泣いた。
「私は、罪を犯したんだ。愛する妻を殺してしまった」
罪を告白しても、背中に回った手の位置は変わらなかった。力むこともなく、緩むこともなく、ただ、背中を抱いていた。
「私は死ぬためにあの街に行った。妻との思い出が溢れたあの街に!」
「ジェイムス」
「なのに私は死ぬ勇気もなかった。妻のあとを追うこともできなかった」
「……ジェイムス」
「私は生きていていいのか? 私なんかが生きていても」
「ジェイムス!」
顎を掴まれた。
ハリーが声を張り上げるのを初めて見た。
気付けば、芯の強そうな精悍な顔立ちが目の前にあった。それこそ、眸の色がわかるくらい近い距離に。
「君は生きていい。生きるべきだ。私と共に生きよう」
「ハリー……」
「もうそれ以上何も言うな」
「しかし、それは、…………ッ」
言葉は喉の奥に消えた。唇を塞がれたのだ。酔った頭で状況を理解するのには、時間が掛かった。
「は、はあ……」
身体の中にこもった熱を吐き出すように、息を吐く。腹の底から、やり場のなかった欲望がじわりじわりとせりあがってくる。彼は、男なのに。
「生きている……生きていていいという証がほしい」
「私が与える」
距離が詰まって、キスをした。息を継ぐ間もなく、ベッドに押し倒された。
上下が逆転した視界で瞬きを繰り返す。鼓動が早鐘を打っている。血潮が沸騰するかのようだった。
ハリーがジャケットを脱いだ。重なった肌が熱い。
ハリーの体重を受け止めて、剥き出しの肌をぶつけあった。首筋に、鎖骨に、胸に、腹に落とされるキスは慈愛に満ちていた。彼の頭を抱えると、かきあげられていた前髪が乱れた。
ハリーは、年齢のわりに無駄な肉がなかった。タトゥーもなければ傷跡もない。長い四肢は引き締まり、腰は太く、平たい腹にはうっすら腹筋が浮いている。自分よりは少しばかり体格が劣っているかもしれないが、彼は自分より背が高い。
節くれだった手が、下肢に伸びた。
「……あ、」
足の付け根では本能が硬くそそり立ち、溜め込んだ精を吐き出そうと痛いほどに膨れていた。それを、彼は先端から包み込み、扱き始めた。
「ん、く」
自分の手ではない、ずいぶんと久しぶりの摩擦に、歯を食い縛る。
「痛くないか?」
「平気、だ」顔を逸らす。声は震えていた。
血脈を浮かせ屹立した雄は、ハリーの手の中で更に硬く、大きくなっていった。
みだらな摩擦の回数が増して、息が上がり、喉が反った。
「そんな顔、できるんだな」
「見る、な」
急に恥ずかしくなって、腕で顔を覆う。
「ジェイムス、私を見るんだ」
おそるおそる腕を下ろす。上と下で視線がぶつかった。ハリーの睫毛は長い。
下ろした手で、手探りでハリーのものを探す。もう、硬くなっていた。
互いの昂りを扱きあいながら、口付けを交わす。熱に浮かされた頭では、何も考えられなくなっていた。やがて湿った音が耳朶に届いた。溢れた先走りで潤滑がよくなり、手がぬるぬると滑る。
「は、あ、ハリー、だめだ、あ、あぁ……」
根本の膨らみを揉みしだかれ、快楽が背骨を伝い上がった。
「気持ちいいか?」
耳元で囁かれ、背筋がぞくぞくした。
「あ、う、はあぁ……」
指が根元から濡れた幹をなぞり、掌が先端を撫でまわす。傘下を強く握られ、半開きの口から情けない声が漏れた。
「ハリー、もう、あ、…………!」
喉が反った。刹那的な浮遊感のあと、目の前が真っ白になり、全身が弛緩した。
「はぁ、はッ、はぁあ……」
精液は勢いよく噴射し、ねばっこい白濁は腹とハリーの手を汚した。臍に溜まった濁液は筋を描いて腹の側面を垂れていく。シーツが汚れるが、構わなかった。
射精直後に放心していると、ハリーに名前を呼ばれた。彼は起き上がり、まだ天井を向いている雄に自身のものを押し付けて、手を緩やかに上下に動かし始めた。硬くなった本能の先端が重なったり、離れたりを繰り返す。
こちらを見下ろす彼の切なそうな表情は、官能的だった。
間もなくして、ハリーも弾けた。腹に降り注いだ精液は、乾き始めていたものと混ざり合った。
精力のある男ふたりの不規則な呼吸だけが、部屋に響いた。
後始末をして、シーツの海にふたりでおぼれた。
「どうして、挿入しなかったんだ」
事後、肌着を身に着けのろのろと着替えるハリーの背中に向けて問うた。
彼はゆっくり首を巡らせ、口を開いた。
「準備を、してなかっただろう。ローションやスキンがない状態でしたら、君の身体が傷付くだろうと思って」
「そうか。あなたになら、抱かれてもよかった」
本心を吐露すると、ハリーは喉の奥で愉快だとでもいうようにくつくつと笑った。
「それは嬉しいな。それじゃあ、また今度、しよう」
影が被さってきて、額にキスが落ちた。
うつぶせで枕に顔を半分埋めたまま、何も言わずに口の端を緩める。
酒は、抜けていた。
サイドテーブルの上の目覚まし時計の針が、日付を跨いだ。