ただひとつの親愛をあなたへ

 最近、サーヴァントに投げキッスをするのがちょっとしたマイブームになっている。
 女性サーヴァントたちとのじゃれ合いの中でしたのがきっかけだった。いわば女子同士の戯れだ。それから女性だけでなく男性サーヴァントにもするようになった。もちろん誘惑のためじゃない。ジョークだ。
 男女問わず、悪戯のような投げキッスを喜んでくれるサーヴァントもいれば、ノリノリでお返しをしてくれるサーヴァントもいる。もう一度とねだってくるサーヴァントもいる。

 夜間灯がぽつぽつと点いた通路を歩いていると、三つ先の角から、大柄な影がぬうっと現れた。山の翁だった。夜警をしているのだろう。生前からの習慣らしく、彼は毎晩そうする。
 山の翁の纏う黒衣は、夜間灯の仄燈をも打ち消した。真の闇を連れた暗殺者の長は、音もなく鷹揚と歩を進めている。
 手を振って「翁!」小走りに駆け寄った。
 目の前で立ち止まると、自然と自分よりもずっと背の高い彼を見上げる形になった。白い髑髏の仮面が僅かに下に傾いて、眼窩に宿る青い光がわたしを見下ろす。
「あのね」
 今日の戦闘訓練のこと、明日のブリーフィングのこと……話したいことはいくらでもあったけれど、最初に胸に込み上げたのは「今夜は一緒にいたい」という切望だった。
「……今夜、傍にいてくれませんか?」
 期待を胸に山の翁を見詰めた。彼を部屋に呼んだところで、お互いなにをするわけでもない。お香の甘い香りに包まれながらベッドに並んで話をし、眠くなったらわたしは寝て、彼は部屋を去る……それだけなのに、充足感がある。ただ一緒にいられるだけで満たされる。彼への淡い恋心がそうさせるのか、部屋に漂う白檀の香りがそうさせるのかはわからない。
 山の翁は「夜警の合間に貴公の部屋に赴こう」と言ってくれた。艦内は広いから、部屋に来てくれる前に寝てしまいそうだ。それでも、傍にいてくれるのは嬉しい。
「またあとでね」
 それじゃ、と結んで山の翁の横をすり抜ける。
「あっ」
 数歩歩いて、ふと思い付いて足を止めた。
「キングハサン」
 振り返ると、もう距離はそこそこ離れていた。山の翁はゆっくりとこちらを向いた。黒衣の裾がひらりと翻って、床に伸びた影が動かなくなる。
「待ってますからっ」
 思い切って唇に手を添えて——投げキッスをした。リップ音が弾み、見えないハートが飛んでいったが、山の翁はリアクションを見せるどころか身動きひとつしない。
「…………っ!」
 一瞬で体温が上がり、顔から火が出そうなくらい恥ずかしくなって「ご、ごめんなさい!」後悔しながら駆け寄る。両手を合わせて謝罪のポーズをして「今のは親愛の意味もあって……いや、おふざけが過ぎました!」謝った。
「契約者よ」
 低い、聞き慣れた声に顔を上げる。山の翁の手が片頬を包み込んだ。冷たい籠手が火照った顔にちょうどいい。さすがに叱られると思って固まっていると、親指の腹の部分がそっと唇を滑った。
「確かに、受け取った」
「……えっ……」
 山の翁はそれだけいうと、姿を消した。
「……えっ?」
 ひとり廊下に取り残されて、目を瞬せる。
「……えっ、ええっ……!?」
 かっと熱くなった顔を両手で覆い「なに今の……! ずるいっ……!」声を絞り出す。心臓が早鐘を打っている。動揺からではなく、トキメキで。
 戯れではなく本気で親愛を受け取ってくれたのだとしたら、少しくらいはわたしの気持ちに気付いてくれるだろうか——。
「もっと好きになっちゃうじゃないですか……」
 指の間から薄闇を見据えて呟いて、ほうっとこもった体温を吐き出す。
 山の翁に触れられた唇には、甘い熱が残っている。