星の葬送

 ぱっと明けた視界に飛び込んできたのは煌びやかな満天の星空だったが、生憎今のわたしには、星々を眺める余裕はなかった。

 美しい星の群れが瞬くこの間も、わたしの身体は重力に従って落下しているのだ。

――これは、まずいかも。

 随行してくれたサーヴァントたちとはぐれていないことを祈りながら視線を左へ右へと巡らせるが、レイシフト前に管制室で「マスターちゃん、着地は任せな」と言ってくれたはじめちゃんの姿も、「マスター、此度も全力でお守りします」と言ってくれたディルムッドの姿もなかった。

「オマエのそばにいるのはオレだけのようだ」

 聞き慣れた声がした方へ顔を向ける。今そばにいるのは、一ちゃんやディルムッドと相性があまりよくないテスカトリポカだけだった。彼はいつもの現代に倣った姿ではなく、第二霊基の姿だ。

「着地は任せましたっ!」

 冷えた空気を吸い込んで叫ぶと、「いいだろう」テスカトリポカがわたしの身体を片腕で抱えた。

「えっ、そういう受け止め方なの?」

「不満か? ちゃんと抱き留めているだろう」

「もうちょっとこう――」

「しゃべるな。舌を噛むぞ」

 慌てて歯を食い縛る。テスカトリポカが地面に降り立つと、轟音が夜を裂いた。衝撃で彼の足元は陥没し、大地には亀裂が走って、土埃が舞った。

「さて、他の奴らはどこに行ったんだ?」

 わたしを片手で小脇に抱えたまま、テスカトリポカは何事もなかったかのように辺りを見回した。

「あの、降ります」

 両足の爪先を地面につけて言う。テスカトリポカは手を離してくれた。

 早速管制室と通信が繋がるか試してみたが、なんの反応もなかった。

「ここ、どこだろう」

 寒くもなく、暑くもない。ただ静かな夜が広がる荒野の真ん中に、わたしたちはいた。煌煌と照る月の光だけが頼りだ。

「遠くに燈が見える」

「え、どこ?」

 テスカトリポカの視線の先を追う。よくわからない。目を凝らす。よく見れば、杳とした闇の遥か先に、微かに点々と燈が見える。街、だろうか。

「あそこにみんないればいいけど。ひとまず、行ってみましょうか」

 傍で鳴き出した虫の声を背景雑音にして歩き出した。 

――月明りだけで、こんなに明るいんだ。

 ふと足を止めて夜空を仰ぐ。斑模様の影が張り付いた黄金色の月から地上に降り注ぐ光は清く、眩い。月明りは明瞭と遠くまで照らし出している。

 先程は余裕がなかったが、地上からでも肉眼で星を確認できた。こうやってまじまじと星を見るのはいつ振りだろう。項が痛くなるまで頭を反らして、ふと足を止める。

「どうした?」隣でテスカトリポカも立ち止まった。

「いえ、星って、こんなによく見えるものなんだなあって」

「ああ、なるほどな。オマエの国では星見をしないのか?」

「現代ではほとんどしません。わたしもこうやって星を見るのは久し振りです」

 記憶の中の夜空は、高層ビルの間から見える狭いものだった。そこに輝く星はなく、どんよりとした夜の幕が張っているだけだ。

「星って、色んな色があるんですね」

 白銀の星。青い星。紅い星。緑色の星、琥珀色の星……果てしない紺碧のカーテンに引っ掛かる星々は、どれも宝石のようだ。

「あ、流れ星」

 慌てて手を合わせて指を互い違いに組む。願掛けをしようとしたが、目を閉じて願いごとを思い浮かべる前に、星は滑り落ちていった。

「残念。間に合わなかった」

「死にゆくものへ祈るのか」

「えっ?」

 テスカトリポカの方へ視軸を向ける。涼やかなアイスブルーの双眸と視線が重なる。

「あれは」彼は眉間に険しいシワを寄せ、薄い唇を開いた。「燃え尽きた星だ。願いなど聞き届けはしない」

「燃え尽きた星……」

 復唱して、眉根を寄せる。流れ星とはロマンチックなものだと思っていたが、そう言われてしまうと、途端に魔法が解けたように魅力が失せた。これだけ星があるのだから、寿命が尽きる星だってあるだろう。けれど、まさか流れ星が寿命を迎えた星だったなんて。

「星に祈るのはやめておけ」

「うん……ねえ、少しだけ、星を見てもいいですか」

「構わない」テスカトリポカは腕を組んだ。

 もう一度星の海を見上げる。「本当にきれい……」

 うっとりと呟く。テスカトリポカが距離を詰めてきて、真横に立った。一陣のぬるい風がわたしたちの間を吹き抜けていった。

「人の世と夜空は似ている」

「どう結びつくんですか?」

 星々に視線を滑らせて問う。

「天地不変だ。月満つれば即ち虧く。満ちた月のように盛んでもいずれは欠ける。繁栄と滅亡を繰り返す人類そのものだ。今おまえが見上げている星だってそうだ。激しく光るものほど早く燃え尽き、消えていく。そして、何億光年か先で新たな星が生まれる」

 テスカトリポカの神性が夜空を司るものであることを思い出した。彼は宇宙を巡る壮大な命のはじまりと終わりを、幾星霜と見てきたのだろう。

「わたしもひとつの星かあ」

 片手を伸ばして、届くことのない星に手を翳す。指の間から見えるのは、オレンジ色の小さな星だった。あの星の名前はなんだろう。

「わたしもきっといつか流れ星になるんだね」

 澄み切った夜気を肺いっぱい吸う。頭の中が不思議とすっきりしている。

「でも、それまでは光を放ち続ける星でありたい。先のことなんてわからないけど、わたしは、戦って戦って……思い残すことなく落ちていきたい」

 星明かりに目を細め、なにかを掴むように指を折り曲げる。拳を強く握って所在なく下ろすと、掌が熱かった。

「オマエが燃え尽きる時、オレが傷だらけの魂を救いにいくと約束しよう」

 神は口の端を持ち上げた。穏やかな笑みだった。

「わたしは敗けないよ。でも、もしその時がきたら……うん。あなたが傍にいてくれたら嬉しいです」体温のこもった吐息を吐き出す。「約束だよ」

 夜空で、星が落ちる。星の葬送は粛々としている。

 わたしたちが交わした約束を、月だけが知っている。