チョコレート・ドーナツ

楽観主義者は、ドーナツの輪を見る。 悲観主義者は、穴を見る。
このドーナツをどう見るか、それだけで人生は変わる。
——オスカー・ワイルド

「そろそろ戻ってくると思ってました。はい、お疲れ様です。淹れたてですよ」
 シミュレーターによる戦闘訓練を終え、休憩を取るために食堂へ行くと、注文口からコーヒーをふたつ頼む前に、「厨房のネモ」はマグカップとグラスを載せたトレイを出して、カウンター越しに懐っこく笑った。
「おふたりのいつものは、もうバッチリ覚えましたよ」
「気が利くな」
「ありがと!」
 いつもの——オレはホットでブラックを、立香は砂糖とミルクたっぷりのアイスコーヒーを注文する。「いつもの」が通用するようになったということは、どうやら、オレもすっかりこの戦艦の食堂の常連になったということらしい。
 立香がトレイを持ち、いつもの席に着いた。オレもいつものようにその向かいに座る。トレイのマグカップを手元に移動させる。立ち昇る湯気が鼻先を掠めると、コーヒーの香りが鼻孔を刺激した。
「マスターさん、よかったらこれも食べてください」
 ネモがオレたちの元へやってきて、立香の前に皿を置いた。丸い白い皿の真ん中に、チョコレートがけのドーナツがひとつ載っていた。
「今朝エミヤさんと一緒に作ったチョコレート・ドーナツです。たくさんあったんですけど、ひとつしか残らなかったんです。すみません」
 ネモは眉を垂らしてオレを見た。
「オレのことは気にするな」
 口元で傾けたマグカップに口付ける前にそう言うと、ネモは両肩から力を抜いた。
 立香は満面の笑みでネモに礼を言い、ネモもまた破顔し、踵を返して厨房に戻っていった。
「いただきます」
 行儀よく手を合わせた立香は、コーヒーを一口二口と続けて飲んで「美味しい」ほっと溜息を零した。それから、皿の上のドーナツをじっと見て、瞬きをした。
「楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はドーナツの穴を見るそうだな。おまえはどっちだ?」
 突いた頬杖に顎を置いて立香を見据える。皿からふっと持ち上がった眸と視線が重なった。
「えっと」立香は困ったように笑った。「どちらを見ていたかって訊かれると、すごく難しいな……テスカトリポカを見ていたっていうか、テスカトリポカと半分こしたいなーって、思ってました」
 一刹那の、意味ありげな間がコーヒーの中に落ちて溶けた。立香の顔が赤くなっていく。
「ずいぶんいじらしいことを言う」
 笑いが漏れた。椅子の背凭れに身体を預け、肩を震わせ、喉の奥で笑う。このオレが不意を突かれることがあるとは。
「おまえといると飽きない」
 身じろぎして椅子に座り直す。
「半分、食べませんか?」
「もらおう」
「よかった」
 立香は卓上の紙ナプキンに手を伸ばした。紙ナプキン越しに持ち上げられたドーナツは、立香の手の中できれいに半分に割られた。
「はい、どうぞ」
 差し出されたドーナツを受け取る。紙ナプキンのおかげで指は汚れずに済んだ。
 立香に倣って一口頬張る。チョコレートの薄膜はパリパリしていて、生地はしっとりとしていて柔らかい。
「美味しいですね」
「コーヒーに合う甘さだ」
 束の間の休息は、コーヒーとチョコレートの香りがする。