ランプの淡い緋色の燈に照らされながら、ベッドの上で規則正しい寝息を立てているマスターである少女の傍らで、テスカトリポカは今夜二本目の煙草を味わっていた。
吸殻を落とそうとナイトテーブルに置いた灰皿に手を伸ばすと、均等だった重心が傾いて、尻の下で沈んでいたマットレスが軋んだ。
灰皿の上で紙軸の真ん中を示指で叩くと、灰が零れ落ち、赤々と燃える火口が覗いた。火を消す前にもう一度だけ喫っておこうと煙草を咥え、浅く吸って、肺を満たす煙を吐き出す。天井に向けて太く長く吹き上がった紫煙は、すぐに薄れて消えた。
テスカトリポカは煙草の火を灰皿の中で揉み消すと、再び彼女の方へ視線を滑らせた。
夜更けになんとなく煙草が喫いたくなって、喫煙所ではなくここにきてしまったわけだが、今、テスカトリポカの心は凪いでいた。
背中を向けていた彼女が、ううんと唸って寝返りを打ち、仰向けになった。豊かな胸が膨らみ、へこみ、彼女はまた苦しげな声を漏らした。穏やかな寝息だが、悪い夢でも見ているのだろうか。
マスターはサーヴァントの記憶の断片を夢として見ることがあるというから、もしかしたら、テスカトリポカの見てきた世界にいるのかもしれない。
テスカトリポカは、隙だらけのマスターに向けて片手をやり、胸に下ろした。柔肌の下で心臓が静かに脈動しているのがインナー越しにも伝わってくる。
戦いの最中でこの心臓が止まった時、彼女は――藤丸立香の魂は、テスカトリポカの楽園へやってくる。戦う者には道はふたつしかない。勝つか、敗けるかだ。生き残ることは勝者の証でもあるが、どんな戦士も常勝ではいられない。いつかは、誰かの血肉になる。その時は、テスカトリポカは立香の魂を救済するつもりでいる。戦った者はみな報われるべきだ。他のサーヴァントが彼女の魂を欲しても、譲るつもりはない。戦士に与えられるべきものは休息なのだ。
「おまえはオレのものなんだよ」
上下する立香の胸から手を離したテスカトリポカの声が薄闇に弾けた。
不意に寝息が途絶え、閉じていた立香の瞼がゆっくりと持ち上がった。定まらない視線は十秒ほどしてテスカトリポカの方を向いた。
「起きたのか。まだ朝には早いぜ」
ここが現実の世界であるかを確認するように、彼女は何度も瞬きをした。
「夢を見ました」
「どんな夢だ」
「よく覚えてないけど」彼女は額に手の甲をのせた。「巨人がたくさんいました」
「いい夢だったか?」
立香は鼻息をつくと、「わからない。それしか覚えてないので」言った。そして、においを嗅ぐように鼻を鳴らして「なにをしてるのかと思ったら、わざわざわたしの部屋にきて煙草喫ってたんですか?」目を丸くさせた。
「言っただろう。落ち着くんだよ、おまえの部屋」
「そうですか。別に喫ってもいいけど、灰皿忘れないでくださいね」
「わかったわかった。ほら、話をしていたら目が覚めちまう。早く寝ろ。明日も戦いが待っているんだ。休める時にはしっかり休んでおけ。オレはもう行く」
「うん」
彼女はブランケットを首元まで手繰り寄せた。
「ねえ、テスカトリポカ」
部屋を出るために立ち上がったテスカトリポカの意識は、灰皿からマスターに移った。
「もう一本、喫っていきませんか?」
「いや、今夜はもういい」
「行っちゃうの?」
「なんだよ、いてほしいのか?」
答えは返ってこなかったが、テスカトリポカは「わかった」頷いた。無言は愚直な肯定だ。「眠るまでいてやるよ」
テスカトリポカはなにも言わずに元の位置に腰を下ろし、のろのろと足を組んだ。
「寝る前にキスでもしてやろうか」
「いい」
「そこは即答かよ」
「だって、そんなことされたら、恥ずかしくて、眠れなくなっちゃうから」
初々しい反応に、テスカトリポカは笑いを堪える。マスターとサーヴァント以上の関係となったのだから、キスのひとつやふたつ、恥じることでもないだろうに。
「おやすみ」と交わして間も無くして、眠りの帷が降りてきた。立香の小さな息遣いが深い夜に溶けていく。
燈に浮き上がったテスカトリポカの影は、終夜壁から離れることはなかった。